中村うさぎさんコラム「どうせ一度の人生・・・なのか?」 part.26 〜TRINITY編集長、遠藤との対談④ 病いと人生観との相関関係について〜

『スティッフパーソン症候群』は、身体が強張ったり突っ張ったりする病気。人はその人らしい病気に罹るのではないか。中村うさぎさんはリラックス嫌いだから『スティッフパーソン症候群』になった!? 宗教やスピリチュアルを信じようが信じまいがそれは斬新な解釈ではないでしょうか?
中村うさぎさんコラム「どうせ一度の人生・・・なのか?」 part.26 〜TRINITY編集長、遠藤との対談④ 病いと人生観との相関関係について〜

最近の私の関心事は、何といっても「病気」である。

今のところ診断は確定していないものの「スティッフパーソン症候群」という線で治療が行われているが、100万人にひとりと言われるこんな奇病に、どうして自分が罹ってしまったのかわからない。

「まるで宝くじに当たるみたいな確率じゃないですか。そんなら宝くじに当たってくれよ、と言いたくなりますねぇ」
私が冗談まじりに愚痴を言うと、遠藤さんが面白いことを言った。
「私ね、その人の病気はその人の嗜好を表してる気がするんですよね。つまり、人って、その人らしい病気に罹るんじゃないかって」
「んん? どういう意味ですかね、それ」
「たとえば、うさぎさんって、お風呂に入るのもマッサージも嫌いっておっしゃってたでしょ?」
「ですね。私、よほどのことがないと風呂入らないですよ(笑)。マッサージもくすぐったいから好きじゃないし」
「でも、お風呂やマッサージって、リラックス効果があると思うんですよ。普通の人は、そのリラックス効果が気持ちいいから温泉とかマッサージに好んで行くんだと思うんです。だから、うさぎさんのリラックス嫌いって不思議だなぁ、と」
「え、そう? べつに自分が特に『リラックス嫌い』だって思ったことはないけど……まぁ、そう言われれば確かにアロマとかにも興味ないし、そういうリラックス系にお金遣わないかもしれないなぁ」
「だから、うさぎさんはどうやってリラックスしてるんだろうとずっと思ってたんです。で、『スティッフパーソン症候群』って、身体が強張ったり突っ張ったりする病気じゃないですか。つまり、リラックスとは正反対の……」
「ああー! 私がリラックス嫌いだから『スティッフパーソン症候群』になった、と! それはまた斬新な解釈ですねぇ! でも、考えてみると、風呂嫌いとかマッサージ嫌いだけじゃなく、私って生き方そのものがツッパってるというか(笑)。のんびりしてる事は少なくて、常にテンション高い系だし。そういう私の性向と、全身が突っ張る『スティッフパーソン症候群』の症状は、確かに似てますねぇ」

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「ですよね? じつは私もそうなんです。私の場合、皮膚がケロイドになりやすくて、しかもなかなか治らなくて困るんですけど、とある霊能者の方に言われたんです。皮膚や肌に問題が起きる人は、人間関係がうまくないって」
「ほう? 皮膚と人間関係ってどう関係するんですかね?」
「皮膚って、外界と接する場所じゃないですか。皮膚を境界として、自分の外と内側に分かれるわけですよね。つまり、皮膚の弱い人は外からの刺激に弱いんじゃないかと思うんです。言われてみると確かに実生活でも少しのことでショックを感じるような過敏な部分があって。そう考えると、ケロイドって私らしいな、と」
「なるほど、面白いなぁ! 人はその人らしい病気に罹る、か。ツッパって生きてる私は身体が硬直する神経の病気に罹り、外圧に弱い遠藤さんは外界の刺激に皮膚が過敏に反応する、と」
「そうなんです。それを言われた時、すとーんと自分の中で腑に落ちたんですね。まぁ、そうやって自分を納得させようとしてるのかもしれないけど」
「まぁ、辻褄合わせといえば辻褄合わせなんだけど、でも私、人生観とか世界観とかって、結局、その人の解釈なんだと思うんですよ。だから遠藤さんが自分の病気とか体質とかをそう解釈するんなら、それが遠藤さんにとっての『真実』なんじゃないかな」
「そうなんですよね。で、私の場合はそこから治す方法を見つけられないかと」
「ほう。それはたとえばケロイドを皮膚病として治すんじゃなく、自分の外圧に対する弱さを改善することで治していけるんじゃないかと? 言ってることが、なんか漢方っぽいね」
「そうですね。西洋医学のお医者さんは、何故こんな病気になったのかを説明してくれないじゃないですか。でも私は、何故自分の身体がその病気を選んだのか、そういう視点で考えていきたいと」
「でもさ、じゃあ、どうやって人間関係に強くなれるのか。元々弱いんだから、それを変えるのは大変じゃないですか。自分を変えるって、それこそ自己啓発とか宗教みたいなものに頼ることにもなりがちだし。いや、べつに私は遠藤さんが宗教に入っても何も言いませんけどね。それで救われるんなら結果オーライだし」

 

先ほども申しあげたとおり、私は「世界観とは解釈である」と考えている。

神や霊が実在するとかしないとか、そんなことはどうでもいいのだ。
要は個々人が世界や人生をどう解釈すれば納得できるのか、という問題であり、それは本人の自由なのである。
が、この私の発言をきっかけに、対談は「病気」から「宗教とスピリチュアル」にテーマが移っていった。

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「そこなんですよね」
私の言葉を受けて、遠藤さんが言った。

「私は宗教はちょっと……『神様』なんて言われても『うーん』って感じで。たとえば目に見えないものを信じる気持ちはあるけど、それが『神』って言われると『はて、そうなのだろうか』と」
「神っていうと人格を持っちゃいますからね。人間の延長線上になっちゃう。日本人は『神』っていうより『霊』に近い存在を感じるんじゃないかな。たとえば木とか太陽とか水とか動物とか自然のあらゆるものに『霊力』が宿ってる、みたいな。それはもう人格神ではなくて、もっと霊的な存在への畏敬の念だと思うんですよ。そういうものが守ってくれてるっていうか」
「うん、共存してる感じですよね」
「そう。アミニズム的な感覚が強い」
「ああ、そうですね。自然信仰みたいな」
「それって、西欧のキリスト教みたいな『神』の概念とは全然違いますよね。あちらの神は人格を持ってる。日本人のアミニズム的な『自然霊』は人間に命令したりもしないし裁いたりもしないし、本当に共存というか……それって宗教というよりスピリチュアルな感覚に近いんだと思うんですよ。日本人って、そもそもスピリチュアル系なのかも」
「そうなんです。私、キリスト教とかあまり知らないんですけど、キリストって人は実在したわけじゃないですか。でも、そのキリストって人は、じつはサイキックだったんじゃないかと思うんです」

 

確かにキリストには、病を癒したり水の上を歩いたりという奇跡の伝説がある(私は信じてないけど)。

それは当時は「奇跡」であったが、今の時代では「サイキック」に近いものかもしれない。
宗教とスピリチュアルは、確かに違う。が、それもまた、世界をどう解釈するかの違いなのだと私は思う。無神論者で霊も信じない私ですら、科学という「神」を信じている。

遠藤さんは飼い犬に「ブッダ」という名前をつけているという。それは信心などとは関係なく、ただその犬に似合う名前だと思ってつけたのだが、毎日「ブッダ」の名を呼んでいると何だか徳でも積んでいる気がして気持ちが明るくなると語った。

それでいいんだ、と、私は思う。犬にお釈迦様の名前をつけるなんて畏れ多いと言う人もいるだろうが、要は遠藤さんがその名を呼ぶことで気分が上向きになること、それが大事だと思うからだ。

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気持ちが明るくなれば、人生も変わる。病気や不幸も乗り越えられるようになる。
宗教やスピリチュアルを信じようが信じまいが、人生を明るく前向きに変えていく力を何らかの形で得る事に、意義があるのだと思うのだ。

 

遠藤さんとの対談はここまでです。
ありがとうございました。

 

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