中村うさぎさんコラム「どうせ一度の人生・・・なのか?」 part.21 〜長い闘病生活の間、人は何を想って過ごすのか?

中村うさぎさんのアメリカに住む友人が27歳で亡くなった。3年前に、入院中のうさぎさんのお見舞いに来てくれたのが、彼に会った最後だったそうです。「副腎白質ジストロフィー」という難病による長い闘病生活の間、『生きてて欲しい』と願う家族の気持ち。『死にたい』と思う本人の苦しみ。そして確実に死へと向かう時、人は何を想うのでしょう?
中村うさぎさんコラム「どうせ一度の人生・・・なのか?」 part.21 〜長い闘病生活の間、人は何を想って過ごすのか?

アメリカに住む友人が27歳で亡くなった。

事故死でも自殺でもなく、「副腎白質ジストロフィー」という難病ゆえである。

最後に会ったのは3年前で、入院中の私を見舞いに来てくれた。
当時の私はベッドに寝たきりで移動は車椅子だったが、彼は杖を突きながら歩いていて「僕もなんか変な病気らしくてさ」などと話していた。

が、その後、私がめきめき回復するのと反比例するかのように、彼のほうは寝たきりとなり、死の直前には口もきけず瞬きだけで意思を伝えている状態だったそうだ。

 

長い闘病生活の間、彼が何を思っていたかはわからない。

いつ頃から自分の死を受け容れたのかもわからない。
ただ一度、私に「最近、自殺を考えてる」というラインを寄越した。

私は「死にたい」と言う人間に「死ぬな」とは絶対に言わない主義なので、「そうか。私は止めないよ」と答えたら、「知ってる」と返事が来た。
私が止めないのを知っててラインを寄越したのなら、これは本気なのかもしれないなと思った。

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身体の動かない人間が苦悩と絶望から「死」を考える気持ちはよくわかる。

だが同時に私は、身体の不自由な人間が簡単に自殺できないのも知っている。
高い場所に行けないから飛び降りは不可能だし、足も手も満足に動かないから首吊りも難しいし、刃物や薬で死のうと思っても手の届く場所に家族がそういうものを置いてくれない。

生きてて欲しいと願う家族の気持ちも切実なら、死にたいと思う本人の苦しみも切実だ。
どちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではないのだ。

 

結局、彼は自殺を果たせなかったのだろう。

その後1年以上生きて、徐々に、そして確実に死へと向かっていった。
その間、彼は何度も問いかけただろう。
「どうして自分はまだ生きてるんだ? どうせ死ぬなら何故とっとと死なせてくれないのだ? そもそも、自分は何故こんな目に遭ってるんだ?」と。

私も一度心肺停止して生き返った時、同じことを考えた。
「せっかく痛みからも苦しみからも解放されたのに、なんでまた生きていかなきゃならないんだ?」

「うさぎさんが生き返ったのは、まだまだこの世でやることがあるからですよ」と、何人かの人に言われた。
でも私は、自分に「やるべきこと」があるとは思えない。

そう思いたいのは山々だが、それは自分がたまたま死ななかったことを正当化する、都合のいい「物語」に過ぎない。

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我々がこの「生」を納得して生きていくには、「物語」が不可欠なのだ。

ただ、宗教やスピリチュアルや思想といった既存の「物語」に自分を当てはめられない人間は、どうやって事故の「生」を正当化すればいいのだ。

このサイトのユーザーの多くは「占い」や「霊」や「運命」を信じているのだろう。

それは、とても幸福なことだ。
私はあなた方が羨ましい。
あなたたちには「物語」がある。

どうか、それを信じてまっすぐ前を向いて生きてください。

 

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