中村うさぎさんコラム「どうせ一度の人生・・・なのか?」 part.19 〜伊藤三巳華さんの幽霊談から「見(視)える」を考える〜

スピ散歩でお馴染みの漫画家、伊藤三巳華さんの幽霊体験談を聞き、果たして霊を信じなかったうさぎさんは、「霊に対しての見方」は変わったのだろうか?
中村うさぎ

それにしても不思議なのは、何故「霊が視える人」と「霊が視えない人」がいるのか、という点である。

たとえば交差点の信号なんかは誰にでも見えているわけで、だからこそ交通整理がきちんと機能している。
目が正常に機能している限り、信号機が視える人と視えない人には分かれないのだ。

ところが霊の場合は「視える人」と「視えない人」に分かれるうえに、「視えない人」のほうが多数なので、「霊なんかいるわけない」とか「見間違いだろう」といった疑念が生まれる。

霊が視える人にとっては非常に不本意であろう。
嘘なんかついてないのにインチキ臭いと思われてしまうのだから。

そもそも、我々にとって「見る」とはどういうことか。

網膜が捉えた光のデータが脳の視覚野に送られ映像化される……これが視覚のメカニズムだ。

では、霊を視ている人と視てない人では、網膜の反応に違いがあるのか?

つまり、視ている人の網膜は何らかの光を捉えて反応しているが、視えてない人の網膜は無反応なのだろうか?

だとすると、これは網膜の感度の問題なのか?

たとえば虹は7色と言われているが、10色に視える人と4色くらいしか識別できない人がいるように、同じものを視ていても識別能力には個体差がある。

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いや、しかし、我々は必ずしも網膜のみで物を「視て」いるのではない。

たとえば、夢。
瞼を閉じているから網膜は何の光も捉えてないが、我々は夢の中で現実と寸分変わらぬ鮮やかな映像を視ている。

しかも、実在しない映像だ。

夢を見ている人の脳を調べると、視覚野がちゃんと活動しているらしい。
網膜から信号を受け取らなくても、脳の視覚野は単独に活動し、映像を「視る」のである。
ならば、「霊を視ている」状態は、「夢を見ている」状態と同じなのか?
そうなると、「実在しないものを視ている」ということになり、「霊は実在しない」という説が有力となる。

私は霊能者が嘘つきだとは思わない。

霊を視たり霊の声を聞いたりする人は、きっと本当に視えてるんだし聞こえているのだろう。

ただ、霊の視える人がいたとしても、それは霊の存在の証明にはならない。
霊がいるかいないかという問いには、今のところ、誰も正解を見つけ出してはいないのだ。

そして私は、霊がいるか否かよりも、霊が視えたり聞こえたりする人のメカニズムを知りたいだけだ。

三巳華さんのような人と私には、どんな違いがあるのか知りたいのだ。

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中村うさぎさんと伊藤三巳華さんの幽霊談①はコチラ
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中村うさぎさんと伊藤三巳華さんの幽霊談②はコチラ
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中村うさぎさんと伊藤三巳華さんの幽霊談③はコチラ
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