何を求めて自らを極限状態へと追い込むのか? 荒行の秘密

戦後「70年あまりで13人しか達成していない」という、「比叡山延暦寺」の荒行。挑戦する僧侶は、いくつもの「死の準備をして挑んでいる」のをご存じでしょうか?

【寒い時期に行われる水行】

ここまで過酷ではないものの、荒行を行う宗派は他にも存在しています。

「日蓮宗では連続100日続けられる荒行」が行われています。

これは、11月から2月という寒い時期に、毎日、「1日7回にも及ぶ水行」を行いながら、読経をしたり写経をしたりという修行です。このときの、食事は1日2回の梅干しと粥だけということであり、まさに極限まで心身を追い詰めていくものといえます。

こちらを無事におえた僧侶だけが、「日蓮宗の秘伝を使えるようになる」というのですが、死者もたびたびでており、行を終えた僧侶は別人のようにやせ細っているというかなり過酷なものとなっています。

 

【インドにも存在する荒行を行う人々】

一体なぜ、命をかけてまでこのような荒行を行うのでしょうか? インドには自らに苦行を課す「サドゥー」という修行者がいます。彼らは「苦行僧」とも呼ばれており、俗世と名前を捨てて、法律的には「死者」として扱われるのです。

日本の荒行と違うのは、サドゥーの場合、「苦行を自分で選べる」ということ。わずかなバナナだけで山に籠もるというものや、茨の中に横たわるというもの、さらに右腕を数十年間あげっぱなしにしているなど、確かに苦行ではあるのですが、なぜ、そんなことをしようと思ったのか理解に苦しむものも多くあります。

そんな苦行を経て、彼らがなにを得るのかというと「解脱」。彼らはヒンドゥー教なので、仏教とはちょっと概念がことなるのでしょうが、要は悟りを得て、すべてから自由になるということなのでしょう。

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では、日本の荒行で得られるものはなんなのでしょうか?

日蓮宗の修行では死と再生を体験することによって、秘伝を会得できるようになるわけですので、ある意味「自らを極限まで鍛えることで、僧侶としての高い能力を得られる」といえるのかもしれません。

 

【苦行の果てに得られるもの】

一方荒行の最高峰ともいえる、千日回峰行はどうなのかというと、こちらも基本的には「死と再生」を通して、自らを鍛えるものだと思うのですが、「1300年以上の歴史の中で、3人しか達成していない」といわれている、「2度にわたる回峰行を達成させた酒井雄哉大阿闍梨」は、「何も得ていない、だけどおかげで今がある」といいます。

これは、荒行が無駄だというわけではなく、特別な力や霊力ではなく、それを成し遂げたことで自分自身がより確立された、すなわち、「悟りを得た」という状態なのかもしれません。

現代社会に生きている私たちは、なかなか自らを生と死の間のような極限状態へとおいこむことはありませんが、そういった世界を通過した時、世界は確かに変わっているのかも知れません。

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What do perform a penance in seek?
Those obtained by penance.