フィリピンの聖地にこもって身も心もスッキリしてきたヒプノカウンセラーのkazzです。
さて今回のお話は僕自身が実際に体験したリアルな話です。
以前、東京は月島から晴海までジョギングをした時、水を買うお金がなくて困っていた僕の目の前で、必要だった現金が物質化(なかったものが現れた)したのです!
「思いは現実になる」そして「神の奇跡」のふたつが重なったこのミラクルな出来事をみなさんにシェアします。
神の奇跡か単なる偶然か? 判断するのは、これから読むあなたです。
月島にあるホテルに宿泊した時の早朝……
旅先でのジョギングが趣味の僕は、この日も5時に起きてまだ暗いうちから走り始めました。
走り終わった後、ホテルの1階にあるコンビニで水を買うために、ポケットの右側には100円玉、そして左側には10円玉を入れて走るのが僕のスタイルです。
朝の凛とした空気とエネルギーの中、迷子にならない程度に行きたい方向に走っていると、目の前に立派な神社が見えました。
全然知らない土地の神社に好奇心が湧いた僕。よし、神様に挨拶をしていこうと思いジョギングを中断して境内に入ると、いつものように手水をしてから本殿へ向かいました。
(実際にこの時撮影した富岡八幡宮)
いつものようにお賽銭を入れようとした時、ミネラルウォーターを買う110円しか持っていないことを思い出しました。
実は……
ホテルの1階にあるコンビニに、前の晩にも立ち寄っていてミネラルウォーターの価格が108円であることを確認していました。つまり10円をお賽銭箱に入れるとジョギング後の水が飲めなくなってしまうのです。
少し迷ったものの、参拝させてもらったのだからお賽銭をしていこう!
と思い、10円玉をお賽銭箱に入れさせていただきました。
「ホテルに戻って財布を持ってコンビニへ行けばいいや」と自分に言い聞かせながら、再びジョギングへ戻った僕は晴海埠頭を一周してホテルに戻ることにしました。
晴海3丁目の奇跡はこうして起こった。
ジョギングでほどよく疲れてから、心地よい場所を探して瞑想するのが僕の習慣です。
全然知らない旅先でも同じで、この日も瞑想をする場所をどうしようか? 考えながらゆっくり走っていると、なかなか良さそうな場所を発見しました。
堤防の隅が小さな公園になっている場所で、そこに青々とした芝生があったのです!
芝生に腰を下ろした僕は、太陽が昇る方角を向いて姿勢をとると、深く呼吸をしてそのまま静かに瞑想に入りました。
しばらくすると太陽が昇ってきました。美しく輝きながら昇ってくる太陽を見ていると自然と手を合わせてしまうものです。僕は、お祈りをしながらこの日2回目となる神様への感謝を捧げて「よっこいしょ」と腰を上げようと手を芝生についたその時です。
なんと、手のすぐ脇に10円玉が落ちているではありませんか?!
芝生に座る時に、夜露で濡れていないか? ゴミは落ちていないか? 自分の手で芝を触ったり、座ってからも下を何度も見ましたらから、落ちていた10円を見逃す可能性は限りなく低い状況にありました。
自分の目を疑いながら10円を手に取ると、ありがたくポケットに入れさせていただき、この日 3回目になる神への感謝を捧げながらホテルへ戻り、無事にミネラルウォーターを買うことができたのです。
(この時にコンビニで購入したミネラルウォーター)
結果が先に来て、原因が後に来ることもあるんです。
さて、この出来事を仮に「単なる偶然」と捉えてみましょう。
10円玉を神社にお賽銭して、10円に困っている時に、瞑想をした手元で10円玉を拾う確率はどれくらいでしょうか?
考えただけでも天文学数字になるのではないかと思います。
この偶然をロマンチストな僕は、神様からのギフトだと考えています。もうひとつ後付けで意味を付け加えてみると「引き寄せ」とも言えます。
仮に最初からなかった10円玉が出現したとしましょう。
一般では原因があるから結果がある。それを因果の法則と呼んでいますが、この宇宙では現実に「結果があるから原因がある場合」もあるのです。
つまり「僕が10円に困っていた」という結果が先にあって、そのために「誰かがこの場所に10円玉を落とした」という原因が後に発生したと僕は考えています。
単純に言うと、僕が瞑想をした場所だけ「時間が逆に流れた」ひとつの事例です。
もうひとつの仮説としては、初めからその場所に10円玉が落ちているのを僕の潜在意識があらかじめ分かっていてその場所に座った、とも考えられます。
いずれにしましても僕にとっては、奇跡であり神様からのプレゼントとして、ありがたくミネラルウォーターをいただきました。
以上、ヒプノカウンセラーのkazzでした!
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