「綿毛に包まれて生きていく」~Vol.10 あの人に届けるプレゼント

私達遺族が現在出来ることは、亡くなった大切な方のスピリットと共に楽しめるということ。そして、私達の経験を感じてくれているということ。そして、もっと言えば私達のやっていることはスピリット・ワールドに持ち帰れる贈り物にもなるという事なんです。

 

やりきれない思いの果てに

大切な方を亡くした方は、いつまでもその痛みは内在しますね。
例え元気そうに働いたり、みんなと出かけたりしても。
ただ、その痛みをファスナー付のポケットに入れてファスナーを閉じただけです。
特に人生の後半にさしかかって子供を亡くしたケースは、恐らく最後の時まで手放して楽しめない気持ちを持っています。
例え楽しそうに騒いでいても、心はどこか冷めています。
または、長年連れ添ったパートナーが旅立った場合も、なかなか乗り越えられないものがあります。
特に人生の後半ならば尚更です。

 

勿論、残った時間を最後まで供養し、生き抜かなければならない思いはあります。しかし、本人のシンプルな思いは生きるのが辛い、早く迎えに来てほしい。

そんなやりきれない思い。それは他者が何と言おうと、自分でさえお手上げな感情です。

これを聞くと残酷な人生だと思うでしょう。

でも、実はそればかりではありません。

遺族は、別の形で愛を受け取っていたり、愛を味わい尽くせる、そんなギフトもあります。
その愛故に自身を高めた人も沢山居ます。それは、強欲でもなく、権力を欲しがった訳でもなく、ただ愛故に進んでいる姿を私は何名も何名も見ています。

やりきれない思いの果てに、遺族の私達は、亡くした者に届けるものを探そうとするのです。

お菓子を食べて喜ぶ姿も
ゲームをやって笑う姿も
綺麗な花を育てる姿も
もう見れない

だから、今までやってきたプレゼントでは、亡くなった人には届かない
お金で買えるものでは、何も与えられない

でも仏壇に好きなお花や、お菓子を備える。気持ちを形に現して。

でも、それも虚しくなるのです。
私達は、亡くなったあの人に、何かプレゼントしたい。
何か役に立ちたい。
喜んで貰いたい。
ただ、ただ、それだけなのです。
しかし、それは今までの経験の中では
到底出来ないことを思い知るのです。

では、どこに行き着くのでしょう。

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形ではない天へ届く贈り物

私達が旅立つ時に持ち帰れるものを想像してください。
お金も地位も名声も、骨董品もブランド物も趣味の物も、何も持ち帰れません。
エネルギー的な物は連れていけるかもしれません。
しかし、物質も人間界で通用する地位などの特権も持ち帰れません。

では何のために今まで生きてきたのでしょう。何のために努力していたのでしょう。これらは人間界に於いてのツールであり、人間界を楽しむため、少しでも快適に過ごすために作り上げてきたものですね。

スピリット・ワールドでは関係ないのです。
日本の通貨が向こうでは使えない、換金しなければならないように。
そして価値がそれぞれの国で違います。スピリット・ワールドでは特権階級は残念ながら無価値に近いです。

 

私達の目的は人間界の経験を積むこと。

それは、どんな経験でもです。
それにはストーリーがあります。良いことでも悪いことでも、それに至るストーリーがあります。
その中で感じたり、考えたりしながら経験を味わう事が最大の目的。
ですから、持ち帰るのは経験、体験です。

私の娘が亡くなる何年か前の事です。
ある人の親友が亡くなり、その親友の魂と今まで一緒に居るという人と話しました。勿論、その親友のスピリットとも。

その方はこう言います。
私が経験してることをまるで、親友も経験しているようだと。
その話に聞き入っていました。
そしてふと目線を反らすと、そこにはその親友さんのスピリットが居て私に伝えてくれと言うのです。

ありがとう。
私はあなたの目、鼻、口、耳、全てを通して今までこの世界をみてきた。確かに一緒に経験してきたよ。本当に楽しかった。今までありがとう!

そう言って去っていきました。
とても嬉しそうで、優しい眼差しでした。