陰陽道が失われた原因は、あの偉人によるものだった!

遙か昔の話とはいえ、陰陽道の技法が失われてしまったのは、とても残念なことといえるでしょう。
陰陽道が失われた原因は、あの偉人によるものだった!

【真田丸の重要人物と陰陽道の関係】

現在放映中のNHK大河ドラマ「真田丸」。大ヒットまではいかないものの、堅調な視聴率を維持しており、その質の高さから「多くのファンがついている作品」です。そんな真田丸で重要な役割を果たす、とある人物によって陰陽道が壊滅的なダメージを受けたということをご存じでしょうか?

「真田丸」の主人公は「真田信繁」、一般的には「真田幸村」として知られる人物です。
彼は、大坂夏の陣と呼ばれる戦において、豊臣側について大活躍し、徳川家康をあと少しで倒せるところまで肉薄しますが、結局のところ果たせず命を落としてしまいます。しかしながら、家康に迫ったその力により、「日本一の兵」として伝説となりました。
このとき主君と仰いだのが、「豊臣秀頼」、有名な「豊臣秀吉」の息子となります。この「秀吉」そして、間接的にですが「秀頼」が、陰陽道に壊滅的なダメージを与えました。

 

【陰陽道とは?】

なぜ、陰陽道が失われたのかを紹介する前に、「陰陽道」とは何かも説明しておく必要があるでしょう。
陰陽道とは平安時代前後に成立した「日本独自の技術体系」です。
現在では、陰陽道というと、神秘的なイメージが強いですが、実際のところは、「天体観測や漏刻と呼ばれる時計の管理」など、「暦」を管理する役所で使われていました。当時の貴族は暦をとても大切にし、その吉凶によって行動を決めていたので、国家機関の中にも、暦を司る部署が必要だったわけです。その部署を「陰陽寮」と呼び、そこで働く役人が「陰陽師」だったのです。

陰陽師といえば、その神秘的な響きから映画や漫画、小説などの題材にも良く取り上げられますし、最近ではフィギュアスケートの「羽生結弦」選手がモチーフにしたことでも知られています。
彼らは暦の吉凶を判断し、さらに日常生活で起きた出来事に対する吉凶を「六壬式占」という独自の占いで判断していました。映画などの影響で霊能者のようなイメージが強い陰陽師ですが、どちらかというと「占い師と天文学者のハイブリッド」というほうが実情に近いといえるでしょう。

 

【ほとんど失われてしまった陰陽道の技術】

平安時代から活躍してきた陰陽師ですが、彼らが伝えていた「陰陽道の技術は現代ではほとんど失われてしまって」います。
前述した「六壬式占」も細かい作法などは散逸してしまっており、有名な安倍晴明の時代の技法というのは、現代では知り得ることが出来ないのです。その原因を作ったのが、前述した豊臣秀吉となります。

(画像提供・ウィキペディアより)

(画像提供・ウィキペディアより)