失われつつある、日本の伝統的なお見合いが持つ意味とは?

お見合いが、一般的になったのは「江戸時代頃」。 当時の女性は「嫁に行く前は、親に従い、嫁にいってからは、夫やその親に従い、年老いてからは子供に従い」と、自らの意見を主張することを完全に封じられていました。

【日本独自の文化であるお見合い】

「お見合い」というのは、「日本独自の文化」だといわれています。今では、ほとんど行われることがなくなっていますが、昭和初期までは、現在のような恋愛結婚よりも、お見合いによる結婚の方がポピュラーだったのです。

個人同士というよりも、「家同士の結婚」という文化がベースになっていることから、お見合いは古くからある風習のようなイメージがあるかもしれませんが、実際にはさほど古いものではなく、「鎌倉時代ごろに成立したもの」だといわれています。

 

【女性の地位低下はお見合いからはじまった?】

日本では長らく、男女不平等な社会が続いていましたが、そういった女性の地位が低下した流れは、「お見合いが生まれたころからはじまった」ともいえるのです。当初のお見合いは、「身分の高い家同士の政略結婚を円滑にする」ためにはじまりました。

武家だけでなく、貴族なども政略結婚を盛んに行っていましたので、自らの「一族を強力にしていくための道具として結婚が利用される」ようになりました。当然ながら、跡継ぎとして利用することのできない女性が道具扱いであり、「一切の選択権はなかった」のです。

当然ながら、「愛情や人柄で相手を選ぶことは出来ず」に、「妻は夫の所有物」扱いをされたために、夫は自由恋愛的に妾などを持つことができたにもかかわらず、妻が不倫をした場合は「厳しく罰せられていました」。

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【女は三界に家無し】

そんなお見合いが、一般的になったのは「江戸時代頃」だといわれています。庶民でもお見合いが行われるようになったのですが、相変わらず家同士という思想は強く残っていました。この頃は盛んに「女は三界に家無し」などという言葉が使われました。こちらは、元々は仏教用語であり、「欲界」「色界」「無色界」の三界とは全世界をあらわしています。つまり、「女性は全世界のどこにも落ち着く場所がない」ということを意味しているのです。

今では死語になりつつありますが、当時の女性は「嫁に行く前は、親に従い、嫁にいってからは、夫やその親に従い、年老いてからは子供に従い」と、自らの意見を主張することを完全に封じられていました。そうしたことから、庶民でも男性からならば「三行半」と呼ばれる、たった三行ちょっとの書面だけで離婚をすることが可能だったのです。

 

【古代は女性が決定権をもっていた】

このような女性の地位が低い状態が長く続いたわけですが、そもそも、「古代の日本では男女の関係は平等」でした。『古事記』にある伊邪那岐命と伊邪那美命のエピソードから、男性が女性へと結婚を申込み、それを女性が承諾するという、どちらかというと「決定権は女性がもっていた」わけです。

こういった風習は平安時代頃まで残っていました。男性が女性の家へと通い、そちらの家族に認めてもらってから同居をするというものです。しかしながら、こちらは、女性がかなり受け身となってしまっていたために、男性は愛人をつくり放題という側面もありました。

しかしながら、こうした結婚を行っていたのは上流階級だけであり、庶民は特定の相手ではなく、「比較的自由にパートナーを決める」というのが基本だったのです。こうした風習が廃れたのは、仏教や儒教にふくまれた「一夫一婦制の道徳」が浸透してからのことなのです。

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【未来へ向けて、お見合いは必要なのか?】

現代では、自由恋愛が基本となり、女性の立場も昔に比べるとずいぶんとあがってきたために、お見合い結婚は廃れてきましたが、その代わりに「結婚する人の数が減り、離婚率が増えてきている」という説もあります。

お見合いの場合は、前述したように家同士の契約という側面もあったために、なかなか離婚することが難しかったわけです。

このことから、「お見合い結婚のメリットとする」こともありますが、これは一方的に女性が負担をこうむっている旧来の結婚システムがあってのことですので、結婚率の低下、ひいては出生率の低下に悩まされる日本にとっては、悩ましい問題ではありますが、「誰かが犠牲になるのではなく、心と心がしっかりと繋がった上で、家族を幸せに構築できるような風習を創り上げていく」のが、日本をよりよくするための道といえるでしょう。

 

The history of marriage in Japan.
Japan’s unique culture “omiai”.