ポタリングでどこまでいける? 熊野街道6 堺の町を迷いつつ石津神社へ。Part.2

●堺の天神様に、熊野権現の灯り。

住宅地をゆるやかに過ぎ、大和高田線を越えると菅原神社にたどり着く。
通称天神さん、えべっさんでもある。

薬祖神社、稲荷神社もある。
さらに神明神社や熊野神社も合祀した、懐の深い神社。大きな神牛が二体ある。
歴史は古く、997年の創建。
菅原道真公、天穂日命(天照大神の第二子)、野見宿祢(相撲の神様)がお祀りされている。

太宰府で菅原道真公自らが作られ海へ放たれた木像、七天神のひとつが漂着し、天台宗威徳山天神常楽寺の僧徒によって祀られたのがはじまり。
明治維新の神仏別離の際に仏教関連は廃絶されて当初の天神社から菅原神社になり、近隣の神社が整理され合祀されていったそうだ。


菅原神社境内の薬祖神社、熊野権現の提灯が見える。


梅と菅原神社。

菅原神社が堺の北の氏神様で、もう少し南にある開口神社が南の氏神様といわれたそうだ。
どちらも山之口筋に沿うようにある。
開口神社がある辺りは、山之口商店街。
さらに進むと、住吉大社のお旅所がある。


お旅所のずっと東にあるイタリアン丹治さんの古いレンガの建物と、


パスタとデザート。

 

●宿院頓宮から南宗寺、山之口橋へ。

宿院頓宮は、住吉大社のお旅所。
お旅所とは、お祭りの時にお神輿が巡幸され、安置される神社。
ここは、住吉大社の宿居から転じて宿院になったといわれている。
夏の大祓日に住吉大社からお神輿を迎え神事が行われてきたが、平成28年の神輿渡御では、明治14年に奉納された大神輿の修繕が行われて美しくなり、約70年ぶりに盛大に担がれたそうだ。
その時の動画を見ると、お神輿は橋を通らずたくさんの人が大和川に入って中洲まで担ぎ、堺からの担ぎ手と交代していた。
橋があるのに……という気もするが思い切って川に入って行く姿は潔くかっこいい。
ポタリングではとても入水して渡れなかったけど、熊野を目指すならそれくらいするべきだったのかも。

宿院頓宮から南へ走ると、またたくさんの寺院があり、南宗寺の辺りにたどり着く。
千利休が禅の修行をしたことで知られ、利休好みのお茶室、実相庵がある。
さらに南へ走ると、土居川に架かる山之口橋がある。
欄干には、熊野詣の絵。

熊野街道の地図も近くに設置されている。

山之口橋を渡り、南へ行くと湊小学校のところに、熊野街道の道標があった。
さらに進むと26号線に出るまでにもうひとつ道標があった。
26号線に出て南へ走り、石津神社へ向かう。


土居川に架かる山之口橋。欄干に熊野詣の絵が。

 

●日本最古の戎宮、石津神社。

石津神社の創建は、紀元前469年らしい。
古文書に戎神がこの地に五色の石を携えてご降臨されたとの記述があり、石津と名付けられたそうだ。
ここから西に行ったところに石津太神社があり、その鳥居前に五色の石を埋めたとされる場所がある。
石津神社と石津太神社は、どちらかが本宮で、どちらかがお旅所だったかも知れないといわれていて、本当のところはわからないらしい。
どちらも最古の戎宮と称する。
実はどちらも本宮で、戎神の五色の石は、2つあったのかもしれない。
石対とか。2つ合わせて十色だったとか、石2とか。
熊野街道沿いにあるのは、石津神社。

次回はここから大鳥神社に向かう。


日本最古の戎宮、石津神社。


石津太神社の鳥居前にある、五色の石を示す石碑。

 

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(トップ画像/方違神社。伊勢神宮から譲り受けたご用材をご使用。方違神社の美しい新社殿。)