娘の小葉は2歳9ヶ月。
最近の娘は、とても上手に言葉を駆使して大人と会話をしてきます。
自分の思いを伝える楽しさを感じているようです。
言葉を通じてコミュニケーションをしていく便利さと、ある意味、嘘を覚えていくのだろうと自分を内省しながら思います。
僕自身、本当に伝えたいことを伝えず、どうでもいいことを相手に伝えたり、好きでもないのに好きだと伝えたり、正直になることの難しさを感じています。
心理カウンセリングの言葉で、
「クライアントの口にする言葉は主訴であることは少ない。」というものがあります。
ダイエットしたいんですけど……。
転職しようと思っているのですが……。
ソウルメイトと出逢いたいのですが……。
という相談内容を聞いた時、
「ああ、ダイエットするために、どのような目標設定をしますか?」
「どのような職業がいいでしょう? あなたに合っているだろうか?」
「いつ出逢えるか、ソウルメイトリーディングしましょうか。」
などの対応はある意味、言葉として意識に上ってきていない主訴を遠ざけるだろうと感じます。
ダイエットすることが本質ではないし、転職するために有利な条件を探すことでもないし、ソウルメイトといつ出逢うかが本当に知りたいことでもなかったりします。
「自分のことを愛したいんですね。愛された自分を思い出したいですか?」
「不当に扱われることに対して、腹を立てているんですね? 自分の存在価値を見失いそうですか?」
「幸せになる資格が自分にあると思いたいですか? それを阻むものは何でしょうか? 両親に言わずに我慢していることはありますか?」
一例ですが、主訴は言葉に上がるものと全く違うものかもしれませんね。
本当に伝えたいことは、自分すら分かっていないことも多々あります。
同じように、娘、小葉の言葉も主訴とは違う言葉が多々あります。
「パパ、嫌!」「やりたくない!」「帰る!」「着替えない!」「眠くない!」「いらない!」など、言葉どおりに受け取っていると結局、娘は何がしたいのか見失うことがあります。
「パパ、嫌!」という時は、「ママが恋しい! パパ優しくなって! わたしのことをもっと尊重して欲しい!」。
「やりたくない!」は、「やってみたいけど、ちょっと怖い! 上手に出来なかったら、恥ずかしい! パパ、サポートしてくれる?」
「帰る!」は、「思い通りにならないのが悔しい。疲れた、安心したい!」
「着替えたくない!」は、「自分のペースを尊重して欲しい。ルールにわたしをはめ込まないで欲しい。ママやパパの思い通りにはならないよ。」
「眠くない!」は、「もっと遊びたい! 今がとっても楽しい。おしっこしてから眠る!」
「いらない!」は、「思い通りにならなくてイライラする! 困らせるわたしでも好きでいてくれる?」
などなど、彼女の言葉と裏腹な主訴に耳を澄ませる必要があります。
「彼女が本当に望んでいることは何だろう?」と問いを持つことは、
彼女の不安や怖れ、恥などに覆い隠された本意にたどり着くことができるように思います。
それは大人である僕自身も同じで、人からの提案や誘い、または急に受け取る直感的なひらめきにいつも「NO!」と言ってしまうので、問いを投げかけるようにしています。
「僕の魂が本当に望んでいることは何だろう?」
「怖れや不安、恥や挫折感、金銭的なリスク、損得が無かったら、僕は何をするだろう?」
表面に出てくる言葉や思考が、魂が望むものとかけ離れているとしたら、僕たちはどうするだろうか?
娘の本意を探りながら、自分を内省する機会も増えました。
(了)