魔術師と呼ばれた催眠療法の天才 ミルトン・エリクソン

自分すら観察の対象にする、エリクソンの観察力はまさに超人的であり、彼の催眠は「クライエント毎に異なるアプローチをする」という独特のものとなりました。

【20世紀最高の催眠療法家】

「ミルトン・エリクソン」という人物をご存じでしょうか? 彼は時に「魔術師」と呼ばれるほど「奇跡的な催眠を行った」ことで知られており、「20世紀最高の催眠療法家」などともいわれています。

20世紀初頭に医学を学んだエリクソンですが、当時は系統だった精神医学や催眠療法について学ぶ機会がなかったことから、「独学でそれらを習得した」といわれています。そもそも、エリクソンが学生の時代には、催眠というのは、その存在は知られていたものの、どちらかというとステージショーの道具であり、手品や奇術の一種としての知名度が高かったものです。キワモノ扱いだった催眠を体系立て、そして治療に使える画期的な催眠療法を産み出したことから、「現代催眠の父」とも呼ばれています。

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【自らの障害を糧にして新たな催眠を産み出す】

催眠というと、「誘導」と呼ばれる過程を経て、相手をトランス催眠状態、つまり「変性意識状態」にいれることで様々な効果を産み出す、というイメージがありますが、エリクソンは一般的に考えられていた「催眠状態とは違ったレベル」で、相手の潜在意識に影響を与える手法を編み出したのです。

大学時代に催眠を知ったエリクソンは、「2000人以上の人を相手に古典的な催眠を使った実験」を行い、それを元に、独自の催眠を産み出したのですが、それを可能にしたのは彼自身が「多くの障害を背負っていたため」でした。

エリクソンは、17歳の時に「ポリオ」によって、「目を除く全身が麻痺」してしまいました。青春まっただ中の少年にとっては、とても辛い出来事だったと思いますが、エリクソンは回復するまでの間、唯一動く目を使って、「自らの家族を観察しました」。それによって、多くの経験を積んだのです。ハイハイを始めたばかりの妹の動きを観察することで、「麻痺した身体の動かし方を学び直し、家族同士の会話から、一見すると普通に思える言葉の中に、相手に影響を与える要素があることを発見した」のです。このときの経験があったからこそ、クライエントによってアプローチを変え、「相手を見るだけで脈拍を把握することができる」という、魔術師と呼ばれるにふさわしい「超人的な観察力」を身につけたのです。

さらに、エリクソンは「色覚異常と失音楽症」も患っていました。これは、一部の色が認識出来なかったり、音楽が理解出来ないというものですが、このような障害をもったことで自暴自棄になることなく、その観察力によって自分自身を深く知る事で、催眠を行う際に、クライエントの呼吸や話し言葉の違いを把握する能力を磨いたりもしていました。

(認定コースのサイトより)

 

【すべてのものを利用することが極意】

自分すら観察の対象にする、エリクソンの観察力はまさに超人的であり、彼の催眠は「クライエント毎に異なるアプローチをする」という独特のものとなりました。自分の障害すら治療の糧としたように、エリクソンの技法は「Utilization」を重要なものとしています。これは「利用できるものは、どんなものでも利用し、臨機応変に対応する」ということです。

エリクソン以前の催眠が、一定の手順での催眠誘導を重視し、ある程度定型の暗示を使っていたのにたいして、相手の状況、求めるもの、そして求める結果のすべてを加味して、独自の手法で相手の意識へとアプローチする催眠は、根本こそ同じものでありながら、全く新しいものであり、「現代催眠」と称されるようになります。

(著書・認定コースのサイトより)

 

【21世紀にもその影響を強く残すエリクソン】

そんなエリクソンの治療は、当時のアメリカで「エリクソンのところに行って治らなければ、どこへ行っても無駄」といわれるほどであり、20世紀最高の催眠療法家と呼ばれるようになったのです。

彼は1980年に亡くなりましたが、その影響を受けた人々によって、「様々な療法や技法が産み出されました」。特に強く影響を受けているものとしては「NLP(神経言語プログラミング)」や「コーチング」などがあります。

(認定コースのサイトより)

 

催眠療法家はもちろん、精神療法家、セラピスト、さらにはビジネスマンまで、人の潜在意識に影響を与えることを意図するためには、身につけておきたいエリクソンの催眠を、最も身近で体験してきたご息女が「6月に来日」し、その催眠について学ぶコースが開催されますので、興味のある方は下記をご覧下さい。

 

エリクソン催眠認定コースは終了致しました。