神々の履歴書 第2回 日本の神々と古代中近東の神々〜クリスタル前世セラピー〜

日本の古い神社に行くと、エジプトや古代メソポタミアの神々が祀られていることがよくあります。 よくといっても、日本中の神社を調査したわけではないのですが、一つや二つではありません。

こんにちは。サイキックリーダー&クリスタルセラピストのマユリです。

第1回目では、大和朝廷と出雲大社のお話を通して、神々には系列があり、別系列の神様のところに行くと、祟られることがあることをお話しました。

 

前回の内容で、いくつかご質問を頂いたので、まずお答えさせていただきますね。

アプス(アポピス)というのは古代エジプトの蛇神です。
冥界の神で、太陽神ラーと敵対しています。
なんで、大和朝廷と被征服民に関連する話に古代エジプトの蛇神がでてくるのですか? と尋ねられました。

これは、あくまでもビジョンの話なので、そのように見えたとかいいようがありません。
不征服民の男たち(小さな白蛇)が生き埋めにされた山の地下に、巨大な蛇が見えました。
クライアントさんは、巨大な蛇のようなクジラのようなものが見えるといっていました。
私は、蛇にみえました。

クリスタル前世では、石をおかれたクライアントさん自身が、様々なビジョンをみます。
ビジョンを見るのは、原則クライアントであって、ヒーラーではありません。

クライアントは、個人差はありますが、眼を閉じているので、かなりはっきりとビジョンを観ます。
私は目を開けているので、ショットのように断片的に、頭の中にビジョンがきます。
目をあけたまま頭の中にスクリーンがあるような感じと思っていただければいいかと思います。

クライアントと私のビジョンは大まかには一致するのですが、細部が違う場合もあります。
ビジョンというより、どう解釈するかが違うのかもしれません。

例えば、あるクライアントが「ミカエルがみえる!」といったことがあります。
私は、「ミトラ」と思いました。

確かに二人とも光り輝く男性のようなものがみえたのですが、そのエネルギー体が何かまでみただけでは断言できません。
そんな感じなのです。

では、なぜアポピスかと思ったかというと、ペンジュラムが自動書記のように動いて絵を描くのです。
自動書記なので、書いているときは何を書いているのか私にもわかりません。
出来上がった絵が、古代エジプトの壁画に描かれたアポピスと似ているのです。

その山の頂上には小さなコブラが見えました。
なぜ日本の山にコブラなのか、その時はわかりません。
そう見えるからそう見えたとしか言いようがないのです。
のちに、古代エジプトではコブラは太陽神ラーの象徴としり、ある意味合点がいきました。

この山の頂上には、小さなコブラがいます。
これは、征服者側が、征服の証においていったもののようです。

そして地下には巨大なアポピス、こちらはもとからあった被征服民の神のように思えます。
そして、山の斜面には、埋められた被征服者の男たちが大勢。

このビジョンに限らず、日本の古い神社に行くと、エジプトや古代メソポタミアの神々が祀られていることがよくあります。
よくといっても、日本中の神社を調査したわけではないのですが、一つや二つではありません。
大天使や旧約聖書の登場人物が祀られていることもあります。

なんでこんなことになっているのでしょうか?
たまたま同じエネルギー体を、世界中の別々の場所で、感得した(チャネリングしてエネルギー体を下ろしてきた)のかもしれません。

昔は今のように、マスメディアが発達していませんから、エジプトの神官が感得した神様と、日本の巫女が感得した神様が同じエネルギー体であっても、それを知る由もありません。
それぞれの土地で、それぞれの名称がつけられ、別個のものとして祀られるでしょう。

あるいは、古代は、我々が考えている以上に、様々な文化圏で交流があり、文化が伝播していたのかもしれません。

この話は、また別の場所でさせていただきたく思います。

 

さて、もう一つご質問がありました。

被征服民の前世がある方で、神宮系の神社に行くと体調不良になる方がいるとお話ししましたが、「なぜ京都にいくと体調不良になるのですか?」と尋ねられました。

確かに、奈良(平城京)は大丈夫なのに、なんで京都(平安京)は、だめなのでしょうか?

現在の京都はほぼかつての平安京とかさなっており、(平城京は現在の奈良とは重なっていません)平安京建設時にはったと思われる水の結界が、今でも残っており、その方は、無意識にそれに反応してしまうのです。

その結界は、神泉苑からでてきて、渦を巻きながら京都全体を覆い、北は一条、南は九条あたりまで続いています。
リーディングした当初は、なぜ神泉苑なのか意味が分かりませんでした。

のちにわかったのですが、今の二条城は平安時代の御所のあったところで、神泉苑は、御所の一角にあったのです。
平安京は、神泉苑から召喚した水の結界を張り巡らした桓武天皇渾身の王城だったのです。

今でも京都にはその痕跡が残り、人々はその中で暮らしています。
といっても、普通の人は何も感じないので、どうでもいいことなのですが、時々、それを敏感に感じ取り、しんどいとか、近寄りがたいと感じる方がいるのです。

平城京は国家仏教の時代ですから、この結界はなかったのかもしれません。
仏教による統治に限界を感じ、怨霊におびえ遷都をかさね、再び大和朝廷古来の水の結界を張り巡らして作られたのが、平安京だったのでしょうか……。

次回神々の履歴書第3回は、京都についてお話いたします。

マユリ

 

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