神々の履歴書 第4回 
続・神様にお願いする方法

見えていないのに、見えない世界に深くかかわることは、危険を伴います。 それは目隠しをして、見ず知らずの人と交わるようなものです。
神々の履歴書 第4回 <br>続・神様にお願いする方法

こんにちは。
サイキックリーダー&クリスタルセラピストのマユリです。

前回は、神様にお願いをするときは、「どんな神様にお願いをするのか?」「自分がしはらう見返りは何か?」を吟味して、決して「できもしないことを言ってはいけない」ことをお話しました。

くれぐれも、「軽い気持ちで願をたててはならない」はならないのです。

 

恋愛成就も命がけ⁉︎

ある生徒さんから、「とある恋愛成就の神社にいったところ、寝込んでしまった」体験をきかされました。
そこは「おかげで恋人ができた!」という噂と、「祟ると怖い!」という噂が両方あるとのことで、「いったいどっちが本当なのですか?」と聞かれました。

理屈からすると、どちらも本当です。

あるブログに「別れた彼女とよりをもどしたい」と、その神社に願を立てた男性の話が載っていました。
ネットの話を頭から信じるのは危険ですが、面白い話なのでちょっと引用してみましょう。

その方は、願を立てるとき小銭がなく、友人にお賽銭を(200円)を建て替えてもらったまま、ついつい返さずに過ごしてしてしまい、かえした直後に電車に弾かれてしまったのです。
即死かとおもったところ、数日後に意識がもどり、病床には別れた彼女が心配そうに立っていた——とのお話でした。

彼は、「捧げものの法則」に反したのです。
神様に願を立てるときは、必ず捧げものが必要です。
たとえ、200円でも捧げものは捧げもの、他人に借りたのでは、捧げたことになりません。
ですから、祟ったのです。

といっても、タイムリミットすれすれで支払ったので(友人に立て替えてもらったお賽銭を返した)、いったん祟りはしたけれでも蘇生して、彼女との復縁の願いも成就したのでした。

恋人とよりを戻すのも命がけ、でも、死んではもともこもありません……皆さんも、神様にお願いする時は、くれぐれも気を付けてくださいね。

 

契約の主は、神か悪魔か?

この話を聞いて、「神様ってずいぶん残酷ですね、まるで悪魔みたい!」という方がいました。
確かに、西洋のキリスト教的観点からすると、こんな恐ろしい神様は間違いなく悪魔に分類されるでしょう。
でも、日本には本来、神様と魔物を厳密に区別する文化はありません。

西洋は、善と悪の二元論的文化ですから、神と悪魔をはっきりと区別します。
ところが、日本にはそのような習慣はなく、そこは曖昧なのです。
願いを叶えてくれるという点では神様的だし、祟るという点では悪魔的——いえいえ、悪魔だって願いを叶えてくれますし(むしろ人間の欲望を叶えるというのは悪魔の専売特許です!)、神様だって祟ります。
つまり、日本ではほぼ区別はないのです。

日本語の「カミ」とは「超自然的な力をもった存在」という意味で、神も、魔物も、妖怪もすべて含みます。

実際、西洋では悪魔とされているものが、日本では、神として祀られていることもよくあります。
ある存在を神とよぶか悪魔とよぶかは、ナポレオンを「英雄」と呼ぶか「独裁者」と呼ぶようなものです。
何と呼ぼうが、ナポレオンはナポレオン、事実が変わるわけではありません。
神とよぶか悪魔とぶかは、それぞれの文化によるのです。

 

平清盛は悪魔と契約をした⁉︎

平清盛は、「神様に願を立てて出世した」といわれています。
彼は伏見稲荷で、ダキ二天(狐の女神で、死肉を食らう夜叉(やしゃ))に願をかけ、死後自分の肝を食べさせる代わりに、この世での立身出世を願います。
きしくも願はかない「平家でなければ人でない」といわれるほどの異例の出世をしましたが、その後、死後の犠牲が怖くなり、救いを求めて、多くの寺社に寄進し、平家納経を収めたといわれています。

真実か伝説かは別として、この話は典型的な「西洋の悪魔と契約した男」のパターンを踏んでいます。
の死後の魂(ここでは肝ですが)を魔物(ここでは天ですが)に捧げて立身出世を願うという話は、西洋人の感覚では、典型的な黒魔術と映るでしょう。ところ変われば、見方も変わるのです。

そういう意味で、「願いがかなう神様ほど、祟ると怖い」といわれているのは、本質をついているのです。

 

人の欲望を叶えるのは、悪魔の管轄?

日本の神様は、「金持ちになりたい」、「出世したい」、「好きな人を手に入れたい」といった個人的な欲望を、気前よくきいてくれます。けれども、西洋では、人間の欲望にストレートに貢献してくれるのは、神ではなくむしろ悪魔の方です。

いえいえ、欲望を控えて修道女のように生きろ、なんていっていませんよ。

商売繁盛、金銭運向上、恋愛成就……誰だって幸せになりたいですから、自分の幸せを願うことはごく自然なこと、どんどん幸せになりましょう!

ただ、あざといことをしてまで願うことは禁物です。