内なる声 — 幸福とは、そして成功とは何でしょう?〜Inner voice — What is happiness and what is success? Vol.1

幸福とは何でしょう、そして、成功とは何でしょうか?

これらは、私たちの人生の中で、最大、かつ最も関心のある2つの質問です。

現代の速いペースで働いていると、非常に物質的になります。
子供の頃に、幸福は、成功することからやって来る、そして、成功は一生懸命働いて何かを達成したら訪れるものだと教えられています。

色々な意味で、これは正しく、目標を設定して、それを達成することは、目的意識を与えてくれるのと同様に、非常に充実感があります。
繁栄した生活を築くために頑張ることは、人としての本質であり、私たちは、しばしば、自分自身を他人と比較することによって、自分の達成の度合いを測ることがあります。
周りの人たちが持っているものを見て、彼らが持っているよりも自分たちがより沢山、あるいは、より少なく持っているかを算定して、自分の富や、成長度を評価します。

私たちの暮らしの中に、マスメディアの存在がかつて無いほどに大きくなり、また、著名人文化というものが台頭してくると、子供たちは、有名になることは特別なことなのだと教え込まれてきます。
このような形で本当に目立つ人など、殆どいないので、もっとバランスよく自然な形で自尊心を手にすることが不可欠です。

 

私たちを特別な存在にするのは、私たちのユニークさです。

「死んだら、誰もあの世に何も持っていけない。」ということわざがありますが、これは、特に富のことを言っていて、物質的な成功は私たちの生活や人生の一部ではありますが、最も根本的な人生の目的ではないという事を強調しています。
霊的に学ぶことはどんなことも、深く私たちの中に刻まれますから、このような進歩は永遠のものになります。
その中には、慈悲慈愛の気持ち、受容、忍耐強さ、笑い、感謝、喜び、勇気、高潔さ、人生の目的や意味を理解したいと願う気持ちなど、人としての資質が含まれています。
他の人たちを愛し、親切な心を表現し、計画されていない人生の出来事を理解し、受け入れることによって、私たちは、霊的レベルで本当に大切なことを学ぶことことにオープンになっていきます。

私は、いつもこの世を、大学、学校として見つめてきました。そこで、私たちは、もっと愛することを学び、知恵と理解を発展させ、やがては、最も高次の生命の波動、それは、人によっては神と呼ぶもの、へ再び混ざっていく助けとなっていくでしょう。

この世とは非常に挑戦の多い場所にもなり得るし、これらの挑戦には、なぜ、自分たちがそれらに直面しなければならないのかが理解できないことが沢山あります。
しかし、苦しみを通して、私たちは他の人たちへの共感力や慈悲慈愛の心や、本当に重要なことを発現させる術を身に着けていくようです。

多くの人たちが、人生に大きなキャリアの目標を設定し、例えば、弁護士になりたいとか、ダンサーや、作家、あるいは、その他の職業につきたいと思ったりします。
人々は、これこそが幸福への道であり、その道すがら困難なことがあったとしても、一旦目標を達成したならば、自分は真実と継続的な幸福感を手に入れるだろうと確信します。
そして、ある日、計画通りにそれを手に入れ、自分が選んだ職業に就きます。

でも、実際には全くハッピーではないことに気づきます。
しかし、これこそが幸福への道だと余りにも確信していたため、幸福感とは本当はどのようなものか、はっきりしないものだと、マインドの誤解へと落ち入ってしまうことがあります。

こうなる理由の多くに、自分は、他の人たちからポジティブに見られなければならない必要性、また、私たちがどれほど沢山持っているかを社会に示さねばならない必要性があり、つまりは、私たちがどれほど賢くて成功しているかを、それとなく示すそうとするからです。
これは、時間の無駄ですが、私たちの多くは、他人がどのように自分たちのことを見ているのかという誤った見方を画策するのに、何時間も費やしています。

しかし、現実的には、本当のところ、私たちは、自分独自の考えや意見から成り立っているものしか分からないので、他人の思いや考えについては、はっきりとは分かりません。

哲学者、アラン・ワッツが、かつて言ったように、「他人があなたをどう思うかは、あなたには、何ら関知するところではなく、それを知る権利もあなたにはありません。」ということです。

初めは、この言葉はどちらかと言うと辛辣に聞こえるかもしれませんが、これは全く正しいです。
私たちは、他人に対してではなく、自分自身の内側で起こることに対してのみ主張する権利を持っています。
私たちは、自分を幸福にしてくれるもの、ハートが歌を歌いだすものを探求し、他人の意見について心配するのを止めるべきです。
こうすることによって、私たちは、自分という存在の所有権を取り戻し、私たちの本質を表現できるのです。

 

—— 後半Vol.2へ続く ——

 

ミディアムシップ&マインドフルネス-マーティンジョーンズ
https://www.trinitynavi.com/products/detail.php?product_id=2106