自分を好きになるには②—守護天使インドリエル—お母さんを探している?

自分を愛するために、努力など必要ありません。 自分がいかに自分を嫌ってきたかを知り、自分のためにできる限りのことをすることで、心が満たされてきます。

「別に、自分を好きにならなくても生きていける」というご意見も、ごもっともだと思います。
「他人に愛を注入してもらえばいいのだから」というご意見もあるかもしれません。

が、他人から愛をもらおうとして、相手にベッタリすがりつき、嫌われてしまう方もいらっしゃいます。
「愛を求めた相手に拒否され、さらに自分が嫌いになる」という悪循環を繰り返す方もいらっしゃるようです。

そこで、また守護天使インドリエルさんに、質問してみました。
他人からの愛を頼りにせず、自分の愛で自分を満たしていくにはどうしたらいいか、聞いてみました。

 

依存体質ができるまで

「私にも愛を分けてください」と何度、頼んでも拒否される体験をすると、「もう二度と頼むもんか」と、人は、あきらめてしまいがちです。
「愛なんて必要ない。愛されなくても生きていける」と高をくくってしまうこともあります。
そして、愛への欲求にフタをしてしまうのです。

そのフタを開けずに放っておくと、フタを開けるのが怖くなります。
愛への欲求に従ったために、過去に何度も傷ついた経験を覚えているからです。

しかし、フタを閉めても、愛を求めて泣き叫ぶ声は、心の奥から聞こえてきます。
人は、その声を聞くたび、自分が嫌いになり、「この情けない自分が自分でなければいいのに」と思うようになるのです。

そして、自分を嫌えば嫌うほど、空虚感がやってきます。
すると、「この空虚感を埋めてくれる人がいたらいいのに」と、他人への愛にすがりたい気持ちが高まってしまうのです。

愛への欲求にフタをしても、結局、依存という形で、それが表面化してしまうことがある、と知ってください。
自分自身を否定してしまえば、結局、「誰かに自分を肯定してほしい」と願うようになるのです。
どんなにひねくれて愛をあきらめても、愛されることへの希求を止めるのは困難なのです。

もちろん、優しい人と巡り合うことで、愛への欲求は収まることもあります。
が、その人に見捨てられることを恐れ、相手にすがって生きるなら、心の安定は得られないかもしれません。
「一人になれば、また、あの惨めな声を聞いて暮らすことになる。そんなの嫌だ」と、他人にしがみついてしまうのです。

 

自分が嫌いだと気づかない

他人から愛をもらおうと必死になっていると、「自分がいかに自分を嫌っているか」を見逃してしまいがちです。
また、優しい人と付き合うことで「私は愛されている」と感じていると、「私は、こんなに愛されている。そんな私が自分を嫌っているはずがない」と思ってしまうのです。