残念だけど、やっぱりいる! スピリチュアルの世界のホンモノとニセモノ。

スピリチュアルという目に見えない力は、心のあり方でずいぶん違ってきます。 ポジティブな時はより良い方向に、ネガティブな時はより悪い方向に導きます。
残念だけど、やっぱりいる! スピリチュアルの世界のホンモノとニセモノ。

トリニティ読者の皆様こんにちわ。
このコラムを書く事が決まった時、いつかは書きたいと思っていたことがありました。
今回はその事に触れていきたいと思います。

 

スピリチュアルという感覚の確認

私がスピリチュアルに興味を持ったのは、自分がどん底だと感じた時でした。
救いを求めるかのように一本の光に導かれて行きました。

その感覚はどこか懐かしく、そしてとてもワクワクするものでした。
そしてそれは子供の頃に感じたそれだと思い出しました。
私は幼い頃の感覚をたぐり寄せるように、スピリチュアルな感覚をかき集めました。

そして思いました。
どうしてスピリチュアルを毛嫌いしていたのだろうと。

私はスピリチュアルな感覚に蓋をしていて、そこを見ようとはしていない時期がありました。
それはとても怖いもの、気持ち悪いものとして認識していたからです。

両親が霊感に強ければその感覚をごく自然なものとして受け入れたのかもしれませんが、
うちにはその感覚を持っている人はいませんでした。

唯一祖母が持っていましたが、予知夢で次に亡くなる人が分かったり、悪い霊が入ってくるのが見えたりするのでいい印象がありませんでした。
だから自分が持っているスピリチュアルな感覚を良くないものとして、出来れば無くなればいいとさえ思っていました。

けれど、もともと持っている感覚をなくすことは難しく、いつのまにかスピリチュアルな感覚を否定するようになりました。
否定すればするほどネガティブになっていきました。
落ち込む事が多くなり、何をやっても楽しくありません。
やりたい事が分からなくなって、やらなければならない事を優先させました。

そうなると、スピリチュアルな感覚はより悪い方向に導きます。
霊障で肩こりや腰痛が酷くなり、普通に立っているのさえ辛い時期がありました。
鬱やノイローゼといった病気になり、心から笑うことが出来なくなりました。
そんな時、スピリチュアルに救いを求めました。

藁をも掴む思いで始めたスピリチュアルの勉強は、最初はとても面白くてどんどん自分が良くなっているのが分かりました。
本当に心が救われた、この世界をもう一度信じて良かったと思いました。

けれどその気持ちは長くは続きませんでした。
教えて頂いていた先生がだんだん変わってきたからです。

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状況の変化

ある程度分かってきた私は、もうスピリチュアルの勉強はほどほどにしようと思いました。
本当に辛い時は助かりましたが、あまりにもベッタリというのはいかがなものかと。

いくらお世話になっている先生とはいえ、もう大丈夫だと思うくらい回復した状態でもべったりというのは…。
けれどそれは先生が許してはくれませんでした。

まだまだやる必要があると、あなたの好きにはさせないと言ってきました。
そして今やめてしまうと、鬱やノイローゼがもっともっとひどい状態になると脅してきました。

先生には鬱やノイローゼを治して頂きました。
感謝はしています。
けれど、行き過ぎた脅迫は困惑以外なにものでもありませんでした。