もしもスピリチュアルの世界と現実の世界の狭間で迷ったら……。

今世、どこまでの気づきがあるか、楽しみながらやっていけたらと思います。 そしてそんなふうに考える人が増えていけばいいなと思います。
もしもスピリチュアルの世界と現実の世界の狭間で迷ったら……。

TRINITY読者のみなさん、こんにちわ。
こちらのサイトで絵と文章を書かせて頂くようにようになって、早いものでもう少しで半年です。「見てるよ」と声をかけてくれる方を有り難く感じていると同時に内心ドキドキしています。

けれどここで文章を書こうと思った背景に、少しでも人の役に立てればという思いがありました。それには、私の場合はさらけ出していかないといけないなと思っています。私は心をテーマに書いていこうと決めたので、そうすると必然的に子供の頃の記憶が蘇ります。今回も子供の頃の話に触れます。

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感覚で分かること

私は子供の頃、いわゆる「不思議ちゃん」でした。
小学校の時、担任の先生が急にお休みになって1時間だけ「自主勉強」と言う時間が設けられた時がありました。みんな机に座っておのおのが勉強するようにとのことでした。ほとんどの子供が勉強なんてしてなかったというのは言うまでもありません。時々先生が見回りにくるですが、なぜか先生がくるタイミングが分かってしまう私は、「もうすぐ先生がくるよ~」とみんなに言っていました。そして本当に来てみんなを驚かせていました。

こんなふうに、ちょっと不思議だけれど楽しい事が私の日常にはありますが、悲しいこともあります。

例えば、誰かが私の事を不思議ちゃんだと言って悪く言っていたとします。
私はその場に居ないので、誰かからその話を聞かないと知れないことだけど、念が飛んでくるので分かってしまいます。そしてその陰口を言っていた場所は暗く重たい感じがするので、ここで言っていたんだなと言う事が分かります。
私の前でニコニコ笑ってくれていたとしても、違うのだなと感じると、とても悲しくなります。

こんなこと分かりたくないと、神様にこういう不思議な感覚を取ってくださいとお願いしたことがありますが、取ってはもらえませんでした。

私は幽霊が見える人ではなかったので、何かを感じ取ったりするこの不思議な感覚が霊感だと知るのは大人になってからでした。

今はもう少し冴えてきて、本やホームページでケーキなどのお菓子を見ていると写真から甘い香りがしてきて、自分が食べたい味が分かったりします。
メニューを見ると食べる前から味が分かったりします。
そういう事は自分の心が明るくて楽しい時に気づきやすいです。
心が、魂が、本当に喜んでいるという事が感覚で分かります。
そんな時は良い情報や良い出来事が起こります。

逆に疲れているとネガティブな感情になりやすく、嫉妬、恨みつらみなどの念を受け取りやすいです。そんな時は頭が痛くなり、体が重くてひどい時は吐き気がします。

トリニティ読者の方はスピリチュアルの世界に関心がある方が多いと思いますが、一般的には目に見えない世界の事を軽視したり、認めない人がとても多いと思います。そして見えたり感じたりする事を怖がる人も多いと思います。私が子供の頃よりは認知度は高くなっていると感じますが、それでもまだまだ信じない人がとても多く、感覚はあっても人に話したりして表に出す人が少ないと思います。

私自身、自分の感覚を話す事が怖い時期がありました。
話すと怖がられるんじゃないかとか、気持ち悪がられんじゃないかとか、ネガティブな方に考えました。

一度気持ちがネガティブになると、その感覚に浸ってしまい、さらにネガティブな感覚に陥りました。そうなると自分に起こる出来事も良くないことばかり続いてしまいました。ネガティブな事を考えている時間が長いと、いつのまにか自分ではない感覚に捕われてしまっていました。

この、自分ではない感覚というのが、私の場合は良く分かっていませんでした。
自分自身の感覚と自分ではない感覚の境目がよく分かりませんでした。
その時点でもう何かに支配されていると言う事ですが、その時はただただネガティブな思考に陥っていたと思います。

 

意識が私達に伝えること

私が始めて支配されていた事に気づいたのは、ある人と出会った時でした。
その人は昔ながらの喫茶店といった感じのところで、なにやら占いのような事をしていると口コミで広がり、ちまたで有名になった人でした。
その方は商売としてやられている方ではないので、「私は霊能者です」とか「占い師です」とかそういった事は一切いいません。
相手からは何も具体的なことは聞かず、その人の意識を見て目の前に居る人がどのよな状態なのかを判断し、見えた事を言ってくださるといった感じでした。

お話を聞いていうるちに何かがすっと抜けていくような感覚があり、体が軽くなりました。