地獄の穴のその先に~一般人卒業レポ~

人工物である電波塔さえ神の手にかかればそれを利用し人々にその波動を知らず知らずに届けているのかもしれません。私たちが全く意識せずとも神の御業は人の知を介入させずともいきわたっていることでしょう。
地獄の穴のその先に~一般人卒業レポ~

静岡県掛川市にある粟ヶ岳山頂に鎮座する阿波々神社。
遠州七不思議のひとつとされている無間の鐘が納められています。
阿波々神社に続く参道は車でも通ることができますが、かなり道幅が狭く対向車が来るたびにスリリングな状況を体験できます。運転技術が必要な為、ハイキングコースになっていますので徒歩で一時間ほどの道のりをお勧めします。
頂上付近にはこれでもかというほど、自然の中に不自然なほど電波塔が並ぶその奥に入ると、阿波々神社の社殿が見えてくる。

 

遠州七不思議「無間の鐘」とは?

その昔、粟ヶ岳山頂にその鐘をつけば何でも願い叶うとされた無間の鐘。それをめがけ多くの人たちが昼夜を問わずに我さきにと争うように鐘をつきにやってきた。
その結果欲にかられた人たちは登山の途中で渓谷に落ちて命を落とす者が続出したため「無間の鐘」を井戸に埋め立て封印しました。

無間の鐘の写真を取り損ねてしまいましたので、興味がある方は自分で調べなさいというメッセージかもしれません。

 

無間の鐘からのメッセージ 無限の中から自分の価値を響きわたらせろ

「人のよくはとどまることを知らない。あなたが本当に叶えたいものが何であるのかをよく思い起こしなさい。あなたの願望はこの鐘をつくことなく己の道を切り開くところから始まる。大衆に流され自分のよくさえも理解しえぬままでいることに目を覚ましなさい。
ここではあなたが何のためによくするのかをしっかりと見据えなさい。

叶えるのは、神ではなく己だということに気づきなさい。求めることはあなたを拡張し拡大し、鐘の音のようにそれは響きわたる。あなたが本当に欲するものはあなた自身を良くするもので、雑多な他者の願いに溺れることではない。無間の鐘は無限の金ともじられ、無間の中から己の価値を見出し物質的な欲を満たし自分自身をより良くするためのものだ。今ここにその痕跡しか残っておらず、鐘をつくことができなくとも、そのエネルギーは無限の中にある己自身を打ち鳴らすことによってそこから放出される。」

 

地獄の穴へようこそ

こちらが地獄の穴と言われる岩座です。岩と岩の間が地獄の穴入口です。

画像1

 

無間の鐘を少し離れたところに地獄の穴という岩座が鎮座する
そこまで数メートルの距離で蛇に出くわしました。
蛇は神の象徴としてたびたび色々な文献に出てきます。神の使い。蛇の先に堂々と地獄へ続く穴がありました。この岩座に医師を投げ込むと災いがおきますと記されていますが、何とも不思議な感覚でその岩座の間を覗いてみました。そのまま道なりに奥に進んでいくと、その岩座の真裏の部分、地獄の穴の反対側に誰かが座っていました。(肉眼では見えない存在)

画像2

 

その岩座の主からのメッセージ 地獄も想像以上に悪くはない

「ここは地獄の穴の裏側つまり黄泉の国。地獄も住めば都です。穴の裏だからと言ってそれがイコール地獄というわけではありません。しかし、人はそれを恐れます。裏も表もない入口はこの岩座の間にしか存在していないし、そこを通るも通らないもあなた自身が地獄を味わいたければこの世界は地獄さえ味わうことができる。欲にかまけて自分を見失うと地獄に落ちますよ。ただ、その地獄で雑多な欲(自分が本当に欲しているものではないもの)を追いまわすことも、ある意味では悪いことでなくイタチごっこを好み楽しんでいるだけ。あなたの欲が己の欲であることならばそのイタチごっこは終焉します。恐怖によって自分を戒めるのも一つの手法です。自分の欲がわからないこと自体が地獄の始まりで、ここは地表で地の国、地国です。地獄を味わうことにより天を仰ぎみることで自分の根底である自分に気づく場所です。自分で気付きその場所まで辿り着かなければ、どんなに周りが道順を示しても、自分の足で辿り着かなければいけない場所です。地獄の門は自分で切り開き自らの意思で進み出よ」

 

神社付近の電波塔の役割

阿波々神社山頂は電波塔がたくさん並んでいます。ここは本当に神社なのか? と疑いたくなるほど、金属的な人工物が立ち並びます。神社とは自然の中で人工的なものとは逸脱した場所であるという常識を覆してしまうほどです。阿波々神社の神はそれをも寛大に受け入れていられるのかと感じましたが、神社を抜け出てその電波塔を眺めていると、その電波塔は、通常の電波を流し発信しながらも、この山高い場所から阿波々神社の波動も一緒に乗せて発信しているのだと感じました。人工物である電波塔さえ神の手にかかればそれを利用し人々にその波動を知らず知らずに届けているのかもしれません。私たちが全く意識せずとも神の御業は人の知を介入させずともいきわたっていることでしょう。

 

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