幻想の安心感から目覚める
「一般的に」「常識的に」「ふつうは」という多数というもっともらしい集団心理という武装で自分の世界の常識という固定概念として格付けされようと入って来ますが、不具合には変わりがなく、少数派であることが悪いことでもありません。誰かに合わせた世界は誰かの世界であり自分を中心に置いた世界ではありません。
不都合メリットは靴ずれと同じ新しい靴(自分軸の思考)に履き替えましょう。
他者から与えられた心配に自分が合わせなくていい他者からきた不都合常識を真に受けなくていい。
集団心理の一般枠にはいらなくてもいい。
他人の常識非常識。
新しい設定に慣れるまでの感情のブレは思考の筋肉痛。
その感情のブレは思考の筋肉がしっかりつくまでしっかり鍛えさせてくれます。
しっかり鍛えてくれる名トレーナー「猜疑心」
本当にそれで大丈夫?
本当にこれでいいの?
とことん疑ってくれます。
猜疑心は変化の過程に伴い何度も出てきます。
慣れ親しんだ不具合メリットを熟知しているので、少しのブレでも目を光らせ、本当に大丈夫? と何度もあきるまで問いかけてくれます。
疑いは心の安全装置、自らを危険から回避させようと稼動します。最も大切な自分を守るために必死ですが、不具合メリットが不具合を起こしていることに気がついてはいません。
そちらにメリットがあると重心を置いているだけです。安全装置が作動するのは安全でない場所だけです。ですが、自分が中心の自分の世界に危険なものは思考が創りださない限り存在しません。今までとは、反転した考え新しい思考(刺激)に安全装置反応しましたが、その安全装置さえ必要ないものだと認識されるようになります。