訪れた人だけが知ることを許される未知の世界 湯殿山神社 ~一般人卒業レポート~

2017年の秋「湯殿山神社で未知の自分を知るツアー」をおこないますので、ご興味がありましたらご参加ください。

古来より湯殿山では「語るなかれ、聞くなかれ」とされ、湯殿山で見聞きしたことは決して口外してはいけないと言われております。

松尾芭蕉も『奥のほそ道』で湯殿山の部分については、「総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず」と記し、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」と句を詠むのみにとどめています。

それほど神秘的な湯殿山神社は山形県の出羽三山(湯殿山、月山、羽黒山)の一つ。山岳信仰の対象にされており今でも山伏がその修行にでるという秘境中の秘境です。

御神祭
大山祇神(おおやまつみのかみ)
大己貴命(おおくにぬし)
少彦名命(すくなひこな)

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すべてのことはそこに訪れたものしか知ることを許されておらず、他言無用。

これ以上どのように説明していけばいいのかわからないほどの神秘的でミステリアスなパワースポットで、私の知る限りほかにないと断言できるほど、そこから頂けるエネルギーの力強さとなんとも説明しがたい不思議な感覚はぜひ体感してほしいと思います。

すべてがミステリアス、そのため写真は、鳥居以外すべて禁止、神社についても詳細は語ることができません。雪深い山地のため、湯殿山神社を参拝できるのは5月から10月末頃までと限りがあり、参拝する期間が短いため、参拝する者の心構えを試されているような気がします。
歩いて上ることもできますが、鳥居から送迎バスに乗り10分で本宮まで行くことができます。

湯殿山で見たり、聞いたりしたことを書くことはできないため、私が感じたことだけをそのまま書かせていただきます。
まず、参道を通る時から強いエネルギーにむせ返してしまうほどでした。

出羽三山では
羽黒山→現在 現世(正観世音菩薩=観音浄土)
月山→過去 前世(阿弥陀如来=阿弥陀仏浄土)
湯殿山→未来 来世(大日如来=寂光浄土)

羽黒山(現世)から入り月山で死とよみがえり湯殿山で再生される巡礼が行われているそうでこの三つが重なり死と再生の意味の「三関三渡(さんかんさんど)」の旅とされています。

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未来の象徴湯殿山神社

参拝中の意識は混沌から湧き上がるなんとも無情な意識でした。
未来である湯殿山神社では、現世的な意識がすべて取り払われた状態で、私という私的な意識に執着することなく見ることで、すべてのものがフラットな状態で見えてきます。それは言葉では語りつくせないようなすべてのものの集大成。もし何かの言葉にしようともそれは言葉にすることを許されない静寂の世界。私という固有の意識への執着の無意味さ、その意識から見る自分という客観的な存在はまるで神から見た視点のように感じます。

何かに執着をしている間はそのものについてみることが難しいです。それは何より、思考がそれを見ること知ることを拒んでいるからこそ、見ることができない。

すべての答えは私の中にある。その答えがあまりにもあけすけに見えてしまうくらいの力強く強大なエネルギーを感じられる場所でした。

語ることなかれ、それは宇宙に匹敵するまたはそれ以上の壮大なスケールの開かれた意識につながるそんな場所。語ることさえできないほどのその英知そのものを体から湧き上がるように感じられる場所。「語るなかれ」は、そのような英知そのものをたやすく言葉という限りあるもので伝えられることはできないから故、と感じました。

ただただ、そこへ足を運んでその英知を垣間見てほしい。そして、ワンネスにつながる体感をしてほしいと心底感じました。
その英知からどんなに私がちっぽけで特別な存在かを垣間見ることができます。それは同時に自分自身の未知なる未来を垣間見ることができる。

現在・過去・未来の時空間が折り重なる神秘の場所。そこで本当の自分をすべてさらけ出すこと何の執着も持ち込まず、ただ私を見つめる。神秘的な死と再生の場所で自分自身の神秘性をかいま見る特別な場所でした。
未知の自分を知る特別な体験をされたい方にお勧めします。

2017年の秋「湯殿山神社で未知の自分を知るツアー」をおこないますので、ご興味がありましたらご参加ください。

 

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