運命を味方につける私を生きるコツ ~一般人卒業レポート~

あなたの物語はハッピーエンドで幕を引きます。それがどれだけ信じられますか?

〜前回の記事の続きより〜

使命とは? わたしはどうしてうまれてきたの?

私は私を生きるために生まれてきました。完全なる不完全さで、光と闇セットで私です。
光だけの人は存在しません。同じく闇だけの人も存在しません。

その両極を持っているからこその私というアイディンティティが存在します。
人によってはその光が闇の部分に見えるかもしれませんし、闇の部分が光となる時もあります。
それはどうしてでしょう? 私ではないから他者です。光も闇もただのコントラストで在り、どちらが善でどちらが悪という事はありません。

この善悪は個人的なジャッジの中で存在しています。ダメな自分は受け入れられない。でも、ダメな自分がいるからこそ誰かの役に立っている。例えば、皆が皆同じ光の部分でしかなければ、混沌の中と何ら変わりがなく、私が私という個が存在しなくなってしまいます。

カメハメハ王国はみんなの名前がカメハメハ~♪ アイディンティティの喪失。みんな同じでは、そこから何も生み出すことができません。光と闇のコントラストによって個という存在が更なる発展や変化を生み出し創造が織りなされます。

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全員が光で同じような能力が平均的にある事で、他という存在は必要がなくなります。

一人で完全体という事は、極論、人とのかかわりを必要としなくてもよいという事。
完全体である事は、それ以上の発展や変化はない。
不完全であるからこそ、人は人の役に立つ。誰かの役に立たないことなど存在しません。

多くの人が誰かの役に立ちたいと願っています。そしてそれは、皆共通して、与える側でありたいと考えています。困っている人を助けたい。と願っていますが、これは逆を返すと、困っている人は助けたい人の役に立っています。みんなが与える側に立った時に役に立っていると考えますが、助けてもらっている時も同じように役に立っているのです。

人が持つこの役に立ちたいという感情は認証欲求です。認められたいという意識。認証されることで自己を肯定しようとします。逆に、助けてもらっている時は、感謝と同時に後ろめたさを感じている事が多いでしょう。ですが、後ろめたさを感じることによって、ダメな自分をイコールで結ぶ必要がなく、この援助を受ける自分は援助する側の認証欲求を高めている役割を持っています。だからこそ、不完全で完全体です。

使命は、命を使う事=私を生きること。

では、運命とは何のことでしょう?
これもそのまま字のごとく

命を運ぶ事。

命を運ぶとは、自分の生きる道です。生きる道を運命。これを味方につけましょう。

運が付くのは自分自身を生きているかどうか? そして、運が悪いと思っているのは勘違い。道の途中で悪いかどうかを判断することはできません。全部を生き抜いたうえでジャッジすればよいのです。運を味方につけるコツは、ありのままの自分を生きること=普通に生きる。ごくごく当たり前すぎて既にやっていることです。

私が生まれた場所は混沌です。光から分け出た私です。この混沌の光を根源、ソース、または神というような表現があります。
全ての中から選りすぐりの私を選んできた私です。

もし、私が神であり、私が人間になる時に好きな自分を作っていいよとなった時、どうするでしょう。

私なら迷わず、もっともいいものを選びます。そして、実際に私が生まれる前に私が既にしてきた事です。生まれる時代、場所、家族、髪の色や肌の色全てひとつ残らず私が選びました。

これから体験するであろう運命さえも私が選んできました。最も経験したかった特別な私です。それを全て忘れて、今の私が存在しています。なんて運命だ! と嘆いたところで、生まれる前の神である私がプログラムした私です。ジャッジのある物質世界の私にはという到底、理解が難しいかもしれませんが、全ては、うまくいっています。

ただ、物質世界の私がそれに納得できているかどうかは、わかりません。映画を中盤まで見て、つまらないなと見切りをつけてしまうのと同じ、神で会った私が私を主人公とした私物語という運命のストーリーでハッピーエンドをしないはずがない。最後まで見てからでないとその私物語が面白いかどうかはわからないという事。でも、必ず私物語はハッピーエンドになっています。なぜなら、総監督は神である私自身が書いたシナリオです。

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自分にコンプレックスを抱くのも自由ですが、私物語には必要不可欠なコンプレックスであり、それが私物語の醍醐味である場合が多いのです。

運命を味方につける事は、私のコンプレックスさえ最高のストーリーの演出で、ピンチな時ほど、これからストーリーが面白くなっていく途中であるという事。だからこそ、今の自分を否定する必要がありません。闇である私も全部OK。まさにストーリーの中で醍醐味。この闇の部分がなければ、私物語の上映はただただ真っ白なスクリーンを見るだけの何もない状態です。こんな映画は誰が見るでしょうか?

光を際立出せる闇があるからそこ私が存在している。
逆に闇を隠し、光だけを見せようと努力したところで、何の面白みもありません。むしろ退屈でつまらない。みな、同じように光だけを見せたがります。自分が善である事を認証したくて、ただ、この善の部分は皆同じように当たり前に見せたい部分でもあります。だからこそ、際立つ事が難しく、善をなしたところで自分を認めることが難しい。光と闇を認証して初めて全ての運命のコントラストを明らかにします。

運命を味方につけることは自分を認証すること。
それは誰かの認証を必要とせず、自分が認証すればよいだけです。できない闇の自分は誰かの役に立っている。できる光の自分も誰かの役に立っている。運命すべてはどのようにとらえるかも自己責任ですが、生まれる前の神である自分が私によくないことをするわけがない。

運命を信じることは、自分を信じること。自分を作りだした神を信じること。そして、信じることとは愛することとは、受け入れること、許すこと。

あなたの物語はハッピーエンドで幕を引きます。それがどれだけ信じられますか?

運命を味方につける生きるコツ
● 神が私の為に書いた私物語を信じること。
● 闇の自分を受け入れる
● 物語中盤でジャッジを下す必要がない
● 信じること=愛すること=受け入れること=許すこと

 

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