神との対話のお作法 ~一般人卒業レポート~

神が存在するのは私たちのためであり、有限である私という自分自身。無限であるという自分自神。その双方は全て一つからわけでた相対的存在です。
神との対話のお作法 ~一般人卒業レポート~

神社やお寺または教会での神様との対話メッセージの受け取り方

日本で一番ポピュラーなパワースポットは神社です。その数は多くコンビニの数よりも多いといわれます。八百万の神々が住む島日本。日本という島国全体が神々の集うパワースポットなのです。

日本の神様は、さまざまなキャラクターがあり、神とは言え親しみやすく、より人間らしく親しみやすい神様が多いです。
どこの神社が一番のパワースポットですかという質問をよく聞かれますが、ずばり、行きたいと感じたところへ行ってください。

行きたいと直感を感じたところは、その神様からお声がかかったということです。それでもなかなか行けない時があります。その場合は、直感では感じているものの、そのタイミングではないということがあります。準備ができていないので、見えない世界でストップがかかっています。または、誰かに誘われたときにピンと来るときは、自分では直観が働かないので神がその人に分かりやすいかたちで、お声がかかったという事です。

天気もとても重要です。場所によっては天候でいけない場合もあります。本当に行く必要があるときには必ず行くことができます。雨だからとやめておこうと思わずに、雨は浄化です。境内で雨に降られることは、神がその場を浄化し穢れを払ってくれています。では、雪の場合はどうでしょう。雪の降る日は、清めです。しんしんと降る雪または雪の積もった状態では、身がギュッと引き締まります。

夏の暑い日照りの中では、汗と共に不必要なものをデトックスしてくれます。不必要なものとは、今まで抱えてきた悩みや足を引っ張る不安な感情執着心を暑さと共にあぶり出し、汗と共に体の外へ噴出させます。

もし、この神社へ行こうという意思が固まったのなら、その御祭神を事前に調べましょう。

はインターネットなどですぐに調べることができる便利な時代ですので、ぜひこのポイントは押さえておきましょう。神社のメッセージは、この神社へ行こうという意思が出てきたときにすでに始まっています。調べる中で、必要なポイント箇所はインターネットなどでも、神の采配で情報を提供してくれます。
その神様がどのような性格をしているのかを知ることで、よりメッセージは入ってきやすい状態になります。

時間帯はできるだけ午前中の参拝をお勧めします。
清々しい朝の境内は人も少なく自分に意識が向きやすく神聖な気持ちを保ちやすいでしょう。

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実際に神社についてからの作法は、参道の真ん中は神様の通り道です。参道では端を歩きましょう。鳥居は神社の玄関であり入り口です。一礼をしてから入ります。帽子などをかぶっている場合は、帽子を脱いでから一礼しましょう。

手水舎では、世俗的な下界の穢れを清めます。昔は神の前に禊という儀式がありました。川に入り体を清めます。その略式が手水です。手水をする前に、禊をさせていただきますという気持ちでここでも一礼をします。左手に柄杓をとり、右手を清め、持ち替えて左手を清め、口を清め最後に残りの水で酌を清めます。
手水の後も一礼をすることを忘れないようにしましょう。

参拝の時に、お賽銭を入れるときは投げ銭をしないようにしましょう。
神に奉納するお金を投げ入れることは、訪問宅で手土産を相手に投げつける行為と同じです。

その場所に習い、二礼二拍手をし、そのままの手で手を合わせるのではなく、また一礼をし、改めて手を合わせましょう。

まずは神様に感謝の気持ちを伝えます。ここに来られたことに感謝します。自分の名前どこから来たのかという自己紹介をします。その後にお願い事をします。このお願い事も「○○になりますように」というお願い事はしないでください。神の前では願いではなく、誓いです。「私は○○になります。」という宣言をしていきましょう。

その後何も考えずに頭に余白を残しておきます。
この時に、頭の余白のスペースは神のスペース。その時にどのように感じているのか? が大事です。
感情のざわつきであれば、何かしっくりとあっていないというサインであり、感情が穏やかになるのであれば、その通りというサインです。この参拝中にピンと来なくても、大丈夫です。もしわからなければ、サインを私に分かりやすい形で届けてくださいとお願いしておきましょう。

そして、先にお礼を伝えます。お礼まいりも必要ですが、神様は私たちと違う次元に存在しています。時間空間を超越した世界にいるために、願い事(宣言)はそのようになります。が、ここで大切なのは、その願いをかけた(宣言した)当事者がそのことについて、まだ悩んでいたり不安がっていたりすると、その期を逃します。

神は常に私たちの味方です。悩みや不安が悪いことだという認識はありませんので、まだ悩んでいたり、不安がっていると、それを好んでいるのかとその悩みや不安を与えてくれます。神に託した願いや宣言は、託したときには自分のものではなく、神のものになりますので、持ち帰らないように、そして、同じ意味合いを言うと、他の神社で同じお願い事を託すのも同じです。その場所に託したのにまた、違う場所でお願いすることは、叶っていないという意思表示になります。

不安や煩わしさは人のもの、神には存在しないもの、神に託した時にそれは解決し懇願成就しますが、当事者がいつまでも同じように悩みを自分のもとして持っていると、神の役目不足になってしまいます。大いに悩んで大いに願って結構。後は委ね託すことができるかどうかです。

その時にお賽銭をこれっぽちで叶うなら誰も悩んだりしないよと思うのであれば、それはその願いに見合っていないお賽銭をしているということです。自分がこれで叶えるんだという思いを神に奉納するとより、その答えは出やすくなります。

 

神というのは結局なに?

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神は見えない存在である自分自身であり、自分自神です。
無限の混沌から出てきた私という存在は有限である個人であり、混沌の一部です。そして、私は混沌からわけでた存在でありながら、私は混沌にも存在している。

混沌からわけでた私という有限である自分自身と混沌のままあり続ける無限の自分自神。神社にある神鏡は自分自身を通して、自分自神の心境を見ます。

そして、叶えたい願いは、いずれそうである自分自身(未来の自分)はそうであるという宣言であり、そこにまだ不安を持ち込むのは過去の自分。過去の自分と未来の自分をつなげる今に在る場所。それが祈りの中でのスペースで行われます。

託し祈りをささげたならば、持ち替えるのはその清々しさだけで十分です。
神との十分な信頼関係をつくるには、疑いではなく信じる力が必要です。

世界共通で神という言葉が存在します。それは私たち有限である人には欠かせない存在であり、どんなに無宗教だという人でさえ何かしらにかかわりがあります。宗教での神または、神社や自然神、なぜ神が存在しているのか? それは、まぎれもなく私たちを助けるためであり、神は私たちが助けを求めなければ、神という存在ではなくなってしまいます。

神という見えない存在でさえ、その存在を認知する者がいなければ存在はできない。神が存在するのは私たちのためであり、有限である私という自分自身。無限であるという自分自神。その双方は全て一つからわけでた相対的存在です。

 

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