「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」vol.3

未病治の究極のセルフケアとは、まだ病が顕在化していない「暗し」の段階で病の気配を察知し、病が芽吹く前にそこにピンポイントで的確な養生法を施すことで病の発症を未然に防ぎ、未来の健康な「明かし」を獲得するライフスタイルを言います。

トリニティウェブ読者の皆様、お待たせいたしました。

いよいよ、養生アルカディアも第3フェイズへ入ります!

「命の誕生、それは光りと闇に包まれし聖なるもの」

本シリーズのタイトル「養生アルカディア」は、バロック期のフランスは古典主義絵画の創始者とされるニコラ・プッサンの画題に由来することはすでに読者の皆様にお伝えしましたが、同時期に活躍した画家に20世紀になって再発見されたジョルジュ・ド・ラ・トゥールがおります。

このラ・トゥール再発見の契機となった代表作と言われるのが、イエス・キリストがベツレヘムの厩(うまや)で誕生したエピソードを描いた「聖誕」です。

この絵では「夜の画家」とも「灯の達人」とも称されるラ・トゥールらしく、厩の暗闇の中で生まれたばかりの幼児イエスをその胸に抱く聖母マリアの姿が、イエスの祖母つまりマリアの母にあたる聖アンナの手にした蝋燭の光りが照らしだす様が描かれます。

イエスを「無原罪の宿り」で授かった聖母アリマ崇拝が高じ、やがて聖母マリアの母である聖アンナまで崇める風潮が芽生え、その流れで聖母マリアとイエスと聖アンナの三世代を同時に画中に描く「聖アンナ三代」の代表作としては、盛期ルネサンスに活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」が有名です。

しかし、このラ・トゥール版の聖アンナ三代の「聖誕」もまた、ダヴィンチ版に劣らぬ独自の解釈をした傑作です。

漆黒の闇に浮かび上がる母、子、そして祖母。

聖アンナの右手は生まれたばかりのイエスの方向に祝福のポーズを向けており、そのかざした右手により左手に持った蝋燭はほとんど画面から消えて、まるで聖アンナの右手が光りを発してイエスを照らし出しているかのようなトロンプ・ルイユ(だまし絵)効果も実にユニークです。

この「手かざし」のように掲げられた聖アンナの右手の仕草はまるで成長したイエスが奇跡の「手当て」により、人々の痛みや苦しみを救済する未来を暗示しているかのようです。

この絵に見るところ宗教的なアイコンは、マリアが着ている「信仰の情熱」を示す赤い着衣くらいで、もしも、この絵がキリストの生誕を扱ったものと説明されなければ、まるで普通の庶民が子供の出産を祝うシーンであると言われてもおかしくないほどに、聖母マリアもイエスも聖アンナも一般人のように普通です。

このように生身の普通の人間として聖アンナ三代を描くことで、ラ・トゥールが描く「聖誕」は宗教性を超越し、そのかわりにヒトの命の連続性を示唆する普遍性を獲得したと言えます。

「ヒトの命の連続性が保たれたのは母たちがいたお蔭である」

近年の分子生物学の発展により、細胞核ゲノムとミトコンドリア・ゲノムの二つのゲノムの変異を追跡することで、わたしたちのルーツがここ数十万年のあいだに地球上のどこでいつ分岐したのかが明らかにされ、ミトコンドリア・ゲノムは母から子へと母系遺伝で伝達されることから、母方の系譜をずっとさかのぼることで、ついにすべての人類の共通祖先となる最初の母に行き着くことが判明いたしました。

その大いなる母である太母(たも)は、今から20万年前に東アフリカにいたことがわかっており、彼女はミトコンドリア・ゲノムの解析により発見されたので、その後「ミトコンドリア・イブ」と命名されました。

そう、わたしたち現生人類72億人の歴史は、このミトコンドリア・イブから始まったのです。

人類の最初の母であるミトコンドリア・イブがいなければ、今のわたしたちは存在しません。

つまり我らホモサピエンスの聖アンナとはミトコンドリア・イブを指します。

20万年前の聖アンナは、大きな牙を持ち体長1.5メートルを超える大型の猫科の猛獣であるサーベルキャットのホモテリウムがうろつくサバンナを避けて、トゥルカナ湖畔の山肌の洞穴を見つけて、その洞窟の暗闇の中で燃焼剤として優れた動物の骨の蝋燭の灯りを頼りに、ホモサピエンスの最初のマリアをその手に抱いたのだろうか。

母から子へ、そしてまた母から子へと、次代を継ぐことで人類は進化し700万年をここまで生き延びたのです。

洞穴はやがて厩になり、現代は分娩室に変わりましたが、子を見守る母や祖母や周囲の者の思いは変わりません。

新しい聖なる命の誕生を祝福する人類の気持ちは永遠に変わることはないのです。

「未病治とは『いまだやまいならざるをちす』と読み、東洋医学の究極のセルフケアをいう」

東アジアにおいて中医学は中国から最初に韓国に伝わり、その後、朝鮮半島で発達した韓医学が日本に伝わるのは、厩戸皇子のちの聖徳太子が生まれる西暦574年より少し前の西暦414年で、このように最初は韓流の医学として日本に中医学は輸入されました。

それからその後1600年間をかけて日本に伝わった中医学体系は徐々に日本ナイズされ、日本人の身体にマッチするようにアレンジし洗練され、現在では日本固有ともいえる独自の日本鍼灸、日本漢方、日本指圧の土壌が形成されています。

この中・韓・日の三国における生薬医学の漢方理論において病人の呈する症候群をまとめて「証(しょう)」という概念で捉えることはよく知られておりますが、ここ日本ではこの証という文字を「あかし」と訓読みし、「明かし」と当て字することは余り知られておりません。

そしてこの「明かし」は「暗し」に対立する言葉であり、「暗し」はまだ病(やまい)が特定できない段階に相当し、時間的経過を経て病症がはっきりと顕在化して「証」のフェイズになることを「明かし」とします。

「明かし」の原義は窓から光りをとって神明を祀る意味で、「暗し」の原義は視覚で捉えることができないものを、かすかに耳で聴いて捉えるという意味です。

未病治の究極のセルフケアとは、まだ病が顕在化していない「暗し」の段階で病の気配を察知し、病が芽吹く前にそこにピンポイントで的確な養生法を施すことで病の発症を未然に防ぎ、未来の健康な「明かし」を獲得するライフスタイルを言います。

「活きた凝りを活かすセルフケアの向こうに養生アルカディアがある」

私は鍼灸師になって間もなくから、母方の祖母の鍼灸指圧治療を励行し、祖母の晩年の15年間ほどは毎週2回の鍼灸指圧ケアを継続しました。

その甲斐あってか祖母は大病を患うこともなく、認知症になることもなく、晩年を精力的にずっと元気に過ごし、ついに99才を目前に控えた98才のある日の朝、誰にも迷惑をかけずに大往生を遂げました。

20万年前のミトコンドリア・イブから受け継がれし命の連鎖、母から子へとつむがれたミトコンドリア・ゲノムの絆は祖母から母そしてわたしの60兆個の細胞内のミトコンドリアに受け継がれ、自分の手元に未来の聖アンナが二人も聖誕する僥倖にもあずかりました。

聖アンナ三代ならぬ「聖アンナ四代」を見届けて、私の祖母はついに昇天されました。

例え未病治の究極のセルフケアの理想郷にあっても

「 Et In Arcadia Ego (死はアルカディアにさえ存在する)」なのです。

祖母の寿命の火が消えかかる闇の中で、私は必死に灸火を灯して祖母を治療しました。

イエスの奇跡の「手当て」はできなくても、鍼灸指圧師は鍼灸指圧治療ができます。

わたしにとっての聖アンナの晩年は指圧や鍼による「手当て」と、灸の火と光りで照らし出された輝かしき「明かし」のアルカディアでした。

健やかな生の先に健やかな死が待つ。

闇の中で光りを灯すように、「活きた凝り」をリモデリングすることで、「暗し」の未病はアポトーシスされ、「明かし」のパワースポットが聖誕します。

【前回までの記事はコチラ】

『養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケア』vol.2

『養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケアについて』vol.1