『手の内の気づき~①凝りは命』〜多くの凝りに触れることで気づくこと

凝りはワルモノではありません。

「触れる日々からの気づき」

わたしは鍼灸指圧師です。

開業してからかれこれ25年余を経ております。

これまで多くの患者を触り、

多くの身体、凝りに触れてきました。

ひとくちに凝りと言っても

それは百人百様、千差万別、

ひとりひとりすべて異なります。

地球上の70億人の人間の指紋がひとつも同じものがなく、

DNAがすべて異なるのと同様に、

ひとの身体の凝りもそれぞれ独自の

アイデンティティーを持っています。

そんなひとりひとりの異なる凝りに、

私は治療を通じてひたすら触れる日々を

送ってきました。

そんな風に毎日多くの凝りに触れていると、

毎日、なにかしらの気づきがあります。

それは患者さんとの言葉のやり取りで

気づくこともあるし、

いきなり治療中に私の脳裡にポッと何らかのキーワードや

気づきが湧く瞬間が訪れます。

その気づきはしかし、何かに書き留めないと、

やがて忘れて消えてしまいます。

多くの凝りに触れることで気づくこと。

それはやはり貴重なことで、

ひとに伝えてしかるべきことに思えます。

そんな手の内に湧きいずる気づきを、

これからみなさんとシェアしたく思い、

ここに新シリーズを開講します。

どうぞ宜しくお願いします。

 

「汝の凝りを愛せよ」

健康になりたい。

健康でいたい。

これは万人の願いです。

ですから健康になるための情報が

今の世にはおびただしく氾濫しております。

しかし、これは今の世に限ったことではありません。

大昔、2000年以上前の中国でも、

すでに今の太極拳や気功法の元祖とも呼べる

メソッドが人々のあいだで実践されていました。

古来から現代に至るまで人間はいつも健康でいたいと

願い、皇帝や権力者はその地位を永遠に享受するために、

不老不死を願い、仙薬を求めました。

しかし、いまだかつてそんな不老不死の仙薬を

手に入れた者はおりません。

人間の寿命は細胞分裂の回数切符のテロメアで決まり、

だいたい最長で120才が限度です。

不老不死を望んでもそれは120才までです。

120才まで健康で病気ひとつせずに元気でいれば、

それは不老不死を手に入れたと同じです。

でもそれすら達成することはなかなか難しいのです。

そんな事を考えながら日々治療をしていると、

凝りがこんな風に語りかけてきました。

「汝の凝りを愛せよ」

 

「凝りは命」

凝りには動きやすい活きた凝りと、

ほとんど動かないフリーズした凝りがあります。

動きやすい凝りは健康な者に見られる凝りです。

そしてほとんど動かないフリーズした凝りは、

進行した病症に見られる凝りです。

動かないフリーズした凝りが見られる代表的な病症は、

癌やパーキンソン症候群などです。

こうした病症におけるフリーズした凝りは、

たとえどんなに精魂込めて治療しても、

ほとんど改善しません。

ですが健康なひとの活きた凝りは、

治療していると驚くように躍動的な動きを見せて、

動き出します。

その健康な者の活きた凝りの動くさまは、

わたしにはいつも小さな竜の動きに見えます。

滞っていた凝りが動き出すと、

その動きは体表や内臓を振動させて、

身体全体をゆさぶります。

凝りの渦が溶けてそこから竜巻が起こり、

台風のように全身を駆け巡ると、

身体全体がほぐれて柔らかくなります。

そんな時決まって患者は、

身体がポカポカしてきた、と言います。

健康なうちに、凝りをほぐす。

活きた凝りのうちに、凝りをほぐす。

これが「汝の凝りを愛せよ」に

対する答えです。

不老不死の仙薬は他でもない

わが身にあったのです。

凝りはワルモノではありません。

凝りがあるから凝りをほぐすと、

そこからエネルギーがほとばしり出るのです。

凝りはエネルギー源なのです。

凝りに触れてわかること、

凝りは命。

 

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