親が子供にしてあげられることで、本当に必要なことは何なのか。
正解のない子育ての中で、悩みは尽きません。
親が気を利かせてあれこれやってあげることは、本当はその子の力や才能の芽を奪ってしまうかもしれない……
小学生や中学生になってもトイレにまつわる問題を抱える子が増えているということを、トイレトレーニングを例にして前回「可愛い子には旅をさせよ・トイレトレーニング編(1)」で紹介しました。
娘の小葉(このは)のトイレトレーニングも、去年の秋頃は「もうオムツが外れるくらいの排泄に対する感覚はあるはずなのに、何故?」と焦りもありました。
大きい方はほぼ教えてくれてオマルでするようになったのに、小さい方は気が向いたときしか教えてくれません。
また外で教えてくれることは、あまりありませんでした。
いつもの日常に、トイレトレーニングが進んでいないような気持ちになっていました。
けれども「可愛い子には旅をさせよ」の諺の通りに少し冒険させることで、子供の「出来た」体験が起きることもあります。
ある日、パパと公民館の保育室開放日に遊びに行ったときのこと。
ここには、幼児用の小さなトイレが完備されています。
小葉はトイレに対する興味も日に日に増していました。
例えば、家のトイレで便器に座ってトイレットペーパーを丸める、水洗レバーで水を流す、タオルを引っ張る、という動作をやりたがるようになっていました。
トイレで何をするのか見せるようにしていたので、大人のトイレの見よう見まねをするのです。
この日も幼児用トイレを見つけて喜び、便器に座ると小さい方をしたのでした。
実を言うと家では日常的にオマルを使っているですが、家族が使うトイレではまだ真似ばかりでした。
幼児用トイレという新しいチャレンジが、次のステップに進めたのかもしれません。
また別の機会には、朝から電車で出かける予定がありました。
普段はあまり子連れで遠出をしないのですが、珍しく電車で乗り換えも入れて1時間ほど乗ることになりました。
その日の朝、いつもは寝起きにオマルで大小を済ませるのですが、この日は大きい方が出ないまま外出になりました。
外出先での大きい方の処理は、オムツ替えスペースなど気になるものです。
そんな親のソワソワをよそに、目的地の駅で下車してから駅のトイレに寄った時の事。
トイレに一緒に入ることが多いのですが、この日も一緒に個室に入りました。すると私が用を足したすぐ後に、「チーチー」と言ってもぞもぞして教えてくれました。
補助便座もない大人用のトイレでしたが、少し支えてあげて座らせると、「う~ん」と力を入れています。
朝出なくて心配していた大きい方が、駅のトイレで出来たのです。電車では我慢していて、トイレでやっと出来たのです。
大人にとって当たり前のことでも、トイレトレーニング中の幼児にとっては大きな進歩です。
外出や長時間の移動は、幼い子供を連れていると不便なこともたくさんあります。しかし、子供にとっては新しいチャレンジが出来る良い場にもなるのですね。
家にいると、トイレはギリギリになってから教えてくれることが多いです。
オマルも直ぐに座らせることが出来るように、リビングの真ん中に置いてあります。
「いつでも近くにトイレがある環境」のせいで排泄のコントロールがどれだけ出来ているのか、親にとっては分かりにくかったのです。
しかし、不便な外出先でトイレをある程度我慢するという状況があって初めて、実はちゃんとトイレで出来るだけの排泄コントロールが出来ていたのだ、と知ることになったのです。
それから数ヶ月が経ちました。それまではなかなか小さい方はトレーニングパンツや布オムツの時にしても教えてくれなかったのですが、少しずつ「する」「した」を教えてくれることが増えてきました。
不便で困難な状況で「出来た」という体験は、次のステップに進むための自信になったのかもしれません。
オムツを早く外したい、は親のエゴかもしれません。
私が母に「あなたは一歳になる前に外れて、失敗もその後ほとんどなかったのよ」という言葉に焦り、比較し、どうして私の子はまだ出来ないのだろう? と思ってトレーニングをしても、それは空回りでした。
本人が自力で出来るようになりたい、トイレでしたいという気持ちを大切に、時には旅をさせて(冒険させて)、その成長を見守ることが出来ればと感じます。