太った女性は愛されないのか?〜体型も年齢も気にしない! 歴史に見る恋愛模様〜

楊貴妃のイメージは「なよやかな絶世の美女」ということになっていますが……実際は結構ふくよかな女性だったそうです。
太った女性は愛されないのか?〜体型も年齢も気にしない! 歴史に見る恋愛模様〜

こんにちは。よいぼしのなぎうたのkinaです。
恋愛に関するリーディングでは「自分が年上だから」や「体型に自信がないから……」と好きな方を諦めようとする方もいらっしゃいます。
大抵の男性は年下で、綺麗な女性が好きなんですが……そういう男性ばかりではないことを、歴史のお勉強がてら調べてみませんか?

今回は、傾国の美女と呼ばれた楊貴妃と玄宗皇帝のお話です。

 

傾国の美女は楊貴妃なのか? 玄宗皇帝を通して見える、真の「傾国の美女」と楊貴妃に求められたもの

唐の玄宗皇帝といえば「楊貴妃という若い妃に溺れて安禄山の乱を引き起こした暗君」と思われがちですが、「李隆基」と名乗っていた若い時は非常に有能な方で、国の乱れを抑えて皇帝になった英雄とも言える方でした。

そんな玄宗皇帝は多数の妃と子どもを持ちましたが、その中に「武恵妃」と呼ばれる女性がいました。
玄宗皇帝は武恵妃を愛していたのですが、武恵妃は「武」という名前が示す通り武氏、つまり唐王朝を一度滅亡に追い込んだ則天武后の一族だったために当時の唐王朝の慣例で皇后になることは出来ませんでした。

則天武后の血を引くだけあるのかは不明ですが武恵妃はその状況を良しとせず、自分の息子である寿王李瑁(りぼう)を皇太子につけ、ゆくゆくは次期皇帝にさせることを画策します。

とは言いましても、息子瑁の力量を知っていた玄宗皇帝は最後まで李瑁を皇太子にすることはありませんでしたが。
李瑁は母親の武恵妃によく似た女性を妻にしました。
この女性こそが後に楊貴妃と呼ばれることになった楊玉環です。

武恵妃に先立たれ、悲しみのどん底にいた玄宗皇帝は武恵妃に良く似た息子李瑁の妻である玉環を奪って自分の妻としてしまいます。
さすがにそれは外聞が悪いので、まず玉環を道教の寺院に出家させて、還俗させて自分の妃としました。

一連の流れを見ていると、本当に国を傾けたのは楊貴妃ではなくむしろ武恵妃ではなかったのかと思います。

皇太子問題を始め、政治に口を出してきた武恵妃とは違い、楊貴妃は玄宗皇帝に色々な物をプレゼントされましたが、自分で何かをねだったことはほとんどなかったと言われていますし、武恵妃が早く亡くなったことで、より楊貴妃に対する寵愛に拍車をかけたのかもしれません。

(楊貴妃の墓(興平市)/画像提供・ウィキペディア)

 

女性の嫉妬は神代の昔から? 日本の美意識と歴史を変える楊貴妃への思いとは

楊貴妃のイメージは「なよやかな絶世の美女」ということになっていますが……実際は結構ふくよかな女性だったそうです。
当時、楊貴妃と並んで寵愛されていた女性に梅妃という女性がいたのですが、その方は楊貴妃のことを「肥婢(ひひ)」と読んでいたそうです。

直訳すると「太った身分の低い女」、簡単に言うと「あのデブ」。
女性の嫉妬って、今も昔も変わらないのね……なんて思ってしまいます^_^;

先に、「武恵妃とよく似ていた楊貴妃」という話をしましたが、武恵妃もふくよかな女性だったのかもしれません。
どうも玄宗皇帝という方は、元々ふくよかな女性が好みだったようですね。

楊貴妃に溺れ、政治を顧みなくなった玄宗皇帝を見た節度使の安禄山は反乱を決意、反乱は成功し玄宗皇帝は都を追われ、逃亡先で反乱を最小限に防ぐために原因となった(と思われている)楊貴妃の殺害を決意、楊貴妃は殺されますが反乱は収まり、玄宗皇帝は都長安へ戻ることが出来ました。

ちょうど玄宗皇帝がいた時代の日本は白鳳文化(天武朝〜奈良時代)なのですが、その時代の日本は少しふくよかな女性が美しいとされていました。
玄宗皇帝と楊貴妃の愛は、遠く離れた日本へも影響を与えていたのです。

……というわけで、ふくよかな女性が好み、という男性もいます。
健康のためには程々の体型を維持する方が良いのですが、少しぐらいのぽっちゃりは気にすることはないのかもしれません。

この一連の話を聞いていてkinaが気になるのは玄宗皇帝よりも、息子である李瑁のことです。
「母親にそっくりな女性を選ぶってもしかしてマザコ……」

これ以上は李瑁の名誉のためにやめておきましょうか。

 

《kina さんの記事一覧はコチラ》
http://www.el-aura.com/writer/nagikina/?c=92643