立ち止まってふと疑問に思うこと…… スピリチュアルって何?

人間の可能性はたくさんあり、そこを少しずつクリアしていくと次の扉があり、その扉はチャレンジすればするほど無限大にあるんだということ。

そのくくりに入っている気功なんですが、検索して学んでみると、どれもこれもチンプンカンプンで益々迷路にハマってしまいました(笑)

私自身がスピリチュアルを意識してこの世界に入った訳ではなく、単なる心と体を癒せるからという部分からなのでふ~んと人事で澄ませていました。

実は、スピリチュアルって言葉が自分の中で違和感があって、目に見えない宇宙からのなんちゃらかんちゃらと言いながら胡散臭くて、今生きている部分が置き去りにされているのを感じていたからなんです。

 

今回の執筆を機に疑問点を追及してみたら、
素晴らしい気づきのポイントになりました!

で、とっても腑に落ちたのが自分自身を大切に扱い、そうすると心と体が癒され魂までもが健全になっていくこと。

目に見えないエネルギーを扱うとかでなく、見えるものも見えないものも大切に扱うこと。

これは特別なことでなくて、目覚めていくことで次第にエネルギーを扱えたり、オーラが見えたり過去生が見えたりと研ぎ澄まされていくようです。

ですが意識しなければやり方がわからなければ、そこには到達する事は出来ないので、興味ある方はその道のプロに学ぶといいですね。

 

心と体の関係を知る事になったきかっけは?

7年前に父の認知症(当時介護度2→現在介護度5)を何とか改善したいと言う思いで中国の気功に出合い、そこで心は内臓に刻まれるのを知り、内蔵をゆるめるようにしました。

特に認知症になると暴れたり、怒ったりするのをテレビなどの情報で見ていたので、短気だった父なのでもうこれ以上ならないように意識し、お陰で今は温厚に過ごしています。

医療では認知症の薬が効かず、サプリメントや医療外で効くというので県外に出かけたり、便秘もいろんな便秘薬を試したり、お尻のカユカユで皮膚科に行ったり、今は普通の便秘薬を処方してもらうのみで過ごしています。

多分この頃から、不可能を可能にを意識してチャレンジしていたかもしれないくて、父がいなければこんなにチャレンジャーなことは出来てなかったと思います。

そして、家族に病人がいるとどれだけ大変かということもです。

私自身は認知症の父を何とかしたいと気功整体から入り、ある日一点に指先に圧をかけていたら硬直していた筋肉がゆるんで、そこから少しずつ指先から手のひらに移行していきました。

スピリチュアル2

だから急になるわけではなく、少しずついろんな事を学んだりする事でどんどんエネルギーのパイプが太くなり、心と体の関係を知る事になっていったんですよね。

未だに自分が解決していない部分がただありますが、人間の可能性はたくさんあり、そこを少しずつクリアしていくと次の扉があり、その扉はチャレンジすればするほど無限大にあるんだということ。

もしも、この気功という仕事に出会わなければ、心や体の仕組みについて考えることもなく、もっと深刻に無知であるがゆえに問題を抱えていたに違いありません。

無知ほど怖いことはなくて、簡単に改善することも知らないから薬に頼ってしまったり、何かのせいにして自分を省みないことになります。

全ては自分自身が創り出した体や心であり、生活習慣を変えなければ、また同じ事が起こり悲しい結末を迎えることになります。

 

スピリチュアルな“自分の内側”との付き合い方を教えてくれる?

自分の中にそのスピリチュアルな部分がたくさんあることに気づくと、外に向けるのではなく、自分の内側に向けることがどんなに素晴らしいか見えてきます。

他人や自分自信で勝手に限定した思考を手放して、新しい自分を創り出していけば、人との摩擦も減り、相手への思いやりも生まれます。

辛かったら辛い分、相手に優しくなれたり、スピリチュアルになればなるほど自由になり自分の思う通りの自分になっていけます。

人がどう思うかではなくて、自分がどう感じているのかにフォーカスする事で、答えは自分にあるんだと知ると、自分で責任をもって生きることが出来ます。

例えそれが間違ったとしても、初めてなことなので失敗はつきもので、何度でもトライすれば必ず目指す方向が見えてきます。

私もまだまだ発展途上人で、そして、これを読んでくれているあなたも新しい自分を探しているに違いないと思います。

私もあなたも一緒で、少し先を歩いているだけですから、自分を大切にして限定してしまった心を解き放ち、自由自在な自分を創り出してください。

スピリチュアルな人を目指して、自分の可能性を最大限に広げて生きましょう。