「ソルトマインに行きたいのですが、304号のバスに乗りたいのです。」と言うと、手を引いて、近くまで連れて行ってくれました。
バスの運転手さんに訊ねると、あと5分後に出発するというので、往復のチケットを購入しました。
30分ほど、のどかな景色を見ながら、Zabytkowa Kopalnia Soli w Wieliczece ヴィエリチカ岩塩抗の看板が見えました。
クラクフから15キロのあるヴィエリチカという町。
2千年前には海だった場所で、地溝変動で陸となり、海水が蒸発して巨大な塩の層が出来たそうです。
1250年頃から1950年代まで稼働していた大規模な岩塩採掘場が地下に残されています。
岩塩抗は、地下300メートル、総距離300キロというアリの巣のような抗道が残っています。
広々とした巨大な礼拝堂を含めて約40もの教会、年に一度試合が行われるサッカーのコートまでもあります。
ヴィエリチカ岩塩抗は、1978年に初めて世界遺産に登録された12の世界遺産のうちの1つです。
岩塩抗にはレベル340段の階段(地下64メートル)を下りて行きます。
グループで下りて行くのですが、マイケルは眩暈の持病があるので、一番、最後にと言っていたのですが、他の人達も最後が良いのか、兎に角、皆さん、早い早い、ドンドン、階段をぐるぐる回りながら、下りて行きました。
ガイドの人と一緒に20以上の部屋を見て、3キロほど歩きました。
白い岩塩が至る処にあり、舐めてみると、とてもしょっぱい(当たり前ですが)、3時間ほど歩き、お土産のセクションで終了。
地下にはとても清潔なトイレもありました。
同じグループの中国人の若いカップルはレストランで食事をしていました。
私は塩のお土産を見て購入しました。
ポーランドで買い物すると、いつも「どこから来たの?」と聞かれて、「サイプロス(キプロス)」と言うと、3回ぐらい聞かれてしまいした。
多分、「サイプロス? どこ?」と思っているんだろうけど、「どこから来たの?」と聞かれたので、きっと、「日本」と答えを待っていたのかなぁ? と思いつつ、買い物したり、ご飯を食べる度に、「どこから来たの?」と聞かれて、「サイプロス」と答えていました。
マイケルの誕生日のイベントとしてのヴィエリチカ岩塩抗を選びましたが、マイケルは感激しながら写真を撮りまくっていました。
次の日は、ユダヤ地区に徒歩で行きました。
色々な人に、「なぜ? カズコはユダヤに興味がそんなにあるの?」と聞かれるぐらい、ユダヤ関係、イスラエル等も幼少時代から興味があります。
まだまだ、研究は続いています。
その日は、天気が良いとの事でしたから、傘を持たずにブラブラとユダヤ地区に行きました。
映画監督のスピルバーグの『シンドラーのリスト』(英: Schindler’s List)は、その地区に住んでいたポーランド系ユダヤ人(収容所に行かずに、オーストラリアに移民)の実話を描いた映画で、ホロコーストに関する映画の代表作として知られています。
資料館を見た後に、暑かったので、コーラを飲み(数年ぶりに飲みました。)歩いて帰っていたら、凄い雨で3回雨宿りをしました。
傘を買おうかと思いつつ、ホテルに帰れば傘があるので、必要ないかな? と思いながら、結構時間を掛けながら、帰り、その後は、朝から雨が降っていた日がありましたが、振ったり止んだりでしたので、傘は使いませんでした。
雨が朝から降り続いていた日は負の世界遺産であるアウシュビッツに行く予定で、オンラインでチケットを先にキプロスから買っていました。
しかし、自分達でもたもたしながら、電車やバスで行くよりは、行き帰りのツアーのマイクロバスで行く方が、良いかもと思いましたので、急遽、日程を変更しました。
実のところ、気が進まなかったのですが、負の世界遺産を見ることが出来て、良かったです。
アウシュビッツ博物館はポーランド女性のガイドさんと一緒に見学しました。
3時間30分ぐらい掛けて、アウシュビッツ博物館とブルケナウ(アウシュビッツ2号)を見学しました。
広島県民で小学生1年から、はだしのゲン、広島原爆資料館等、また、夏休みの最中に歌を歌いに行かなければならない登校日が8月6日にありました。
色々な国の原爆投下後の映画も見て来ました。
去年は、アンネの日記で有名になったアンネフランクが住んでいた家にも3時間待ちで見学しました。
内心、ゆっくりしようと思って旅行に来たのに、負の世界遺産を見に行く必要があるのか……。と考えたりしましたが、やっぱり、行くことにしました。
戦後、71年という時が流れていますが、戦争という名目の悲惨な出来事でユダヤ人がその場所で殺されてしまったことを知る必要もあったのかと思ったので、行きました。