キプロスのカズコより〜【愛を与えることが出来なければ、受け取ることもできない】

霊的成長をしたいならば、自分のカルマから逃げないことです。

また、生まれ変わった家族に自分がしたようなことをされてしまうことになります。
例えば、食事を与えて貰えない(姥捨て山のように、自分の親を捨ててしまった場合)、自分の家族や子供が困窮している目の前にしながら、誰からも手を差し伸べて貰うことが出来ず、辛い体験をするように設定されて生まれ変わっています。

自分の意思以外にも、スピリチュアル・ガイドたちからの配慮のこともあります。

また、現世でも、自分が結婚して子供が出来た同時に、自分の家族だけに執着して行こうとすると、家族や子供から相手にされず、家庭があっても、孤立状態に置かれることで、カルマを解消させることもあります。

霊的成長をしたいならば、自分のカルマから逃げないことです。

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人間の運命と霊的成長は、この「カルマ」の質によって、決められます。

この地上で生活している間に行ったことは、その後の死後の世界、または、来世に繋がって行きます。

それを隠すことも誤魔化すことも出来ません。

それは、自分という魂の自我の中に刻まれ、自分が地上で行ったことへの反省を霊界に還ってからすることになります。

もちろん、カルマにはマイナスだけではありませんから、プラスのカルマを地上にいる間に行った場合は、過去世からの良いカルマを引き継いで生まれることになります。

その良いカルマによって、良い波動の人々とお付き合いすることで、自分が過去世で犯した罪を償うことを応援してくれる人も増えて来ることでしょう。

その罪の報いを刈ることが出来るのは、自分自身なのです。

この世にいるすべての人に多かれ少なかれ、過去世からのカルマを持ち越して生きています。

長い期間、生まれてから死ぬまで、嫌でも関わる「家族のカルマ」また、結婚した人と約束して来た「夫婦のカルマ」は、いくら偉大な霊能者に祈祷して貰っても刈ることは出来ません。

また、悪い事が起こるのは、邪悪な霊だから、「除霊しましょう!」という霊能者も存在するかも知れませんが、その除霊しようとしているのは、スピリチュアル・ガイドかも知れません。

この世的に見て、悪い事であっても、霊的には、「あなたのカルマを刈り取る」お手伝いをして下さっていることもあるのです。

霊的成長を望む人は、霊的成長を促すような生活をすることがこの世での課題なのです。

しかし、この世にはあらゆる誘惑や恐ろしい魔物ような物が形や姿を変えて近づいて来ます。

日常生活を物欲や性欲、また、毒物等に流されないように霊的にコントロールして行かなければなりません。

自分の五感が満たされることばかり、追求していると、この世でのカルマの解消どころか、何のために生まれ変わったのかさえも、思い出せないまま、霊界に還る時期が訪れて慌てて、どこかに寄付をしたり、高額な戒名を貰っても、すでに、死後の道先案内人があなたをその霊界に連れて行ってくれるだけです。

何十億というお金を本当に必要な人のところに寄付しても、多少は優遇してくれる可能性もありますが、霊界はそんなに甘いところではありませんから、早い段階で霊的成長を目指しながら、カルマの清算を行うことで、心が軽くなり、波動も上がり、人生が180度変わるような出来事が増え、生まれたことに感謝しながら、他者に思いやりと寛容性を持ち、天命を全うして行くことです。

もちろん、霊的な生き方をせず、この世的な快楽を求めて生きたからといって、誰からも非難されない人もいらっしゃるかも知れませんが、霊的成長は止まったままになることでしょう。

カルマの解消とは、夏休みの宿題を夏休みにコツコツとせず、夏休みが終わる前日になって、「あの宿題も、この宿題も何でしてこなかったのだろう……。」と、家族に泣き叫んでも、次の日、学校に行って「先生、夏休みの宿題帳を忘れました。」と言い訳したところで、次の日には提出しないといけません。

いくら嘘をついても、霊界にいらっしゃる方々にはすべてお見通しです。

また、もう一つ、想念というのも、マイナスのカルマを生み出します。

ですから、もしも、邪(よこしま)な心、復讐心、悪意を抱いている自分の心を感じる場合は、自分自身という殻から抜け出すことが出来ないまま、心の病と向き合うことになります。

歪んだ心は歪んだ性格になり、来世では、卑屈な性格になってしまうことにならないように、他人に向けたナイフは、最終的に自分に向けられてしまいます。

プラスのカルマ、または、マイナスのカルマを生み出すのも、すべて自分の心が生み出していることをときどき、思い出して下さい。

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最後に日本昔話の「貧乏神と福の神」のお話を綴ります。

むかしむかし、ある村に、とても貧乏な男がいました。

働き者の男ですが、いくら働いても暮らしはちっとも楽になりません。