ココロセラピストが語る!『今すぐ見直す必要アリ!傲慢な態度が身を滅ぼす!』とは?

誰しも抱いている、『やりたくない仕事』『就きたくない業種』。自分が出来ない仕事をしてくれている人は、滅茶苦茶すごい人。自分だけの能力や労力では補えないから代わりに誰かがそれをやってくれていると思い、感謝すべきなのです。

トイレのオジサン

先日、こんな話を教えて貰いました。
有名な話らしいので、もしかしたら既に知っている方もいらっしゃるかもしれません。

あるビルに2人の大学生がやって来ました。
就職活動です。
二人がトイレに行くと、掃除のオバチャンがいました。
すると、そのうち1人の大学生が掃除のオバチャンの方を見て「俺、こんな仕事マジ、無理~」とかなんとか、とにかく酷い事を言いまくっていたそうです。
もう1人の大学生も、彼の言葉に心から共感していたそうです。
すると、直後にトイレにオジサンが入って来ました。
そして大学生にその無礼を注意するのですが、実はそのオジサンこそ大学生たちが受けにきた会社の社長だった……というお話です。

就きたくない仕事

ありがちな話ですが、これは僕たちにとってはとても重要な教訓を含んだエピソードです。
確かにやりたくない仕事や就きたくない業種は誰だってあると思います。

どんなに嫌な仕事でも向いていない仕事でも仕事があるだけマシとか、やっているうちにそれが天職になるとか、そんなキレイごとを僕は言うつもりはありません。
ある程度の妥協は仕方がないとしても、イヤなものはイヤで良いと思います。

だからこそ、自分が出来ない仕事をしてくれている人に感謝すべきなのです。
ちなみにこのエピソードではトイレ掃除を「ゴミのような仕事」と言っていたそうです。
そんな過激な表現をしたくなるほど自分がやりたくない仕事、もしくは出来ない仕事をして下さっている人がいるって、本当は滅茶苦茶すごい事であって、頭が上がらなくなるくらいだと思います。
見下している場合では無いのです。

ボランティアでお願いします!

よく、なんでもかんでも「ボランティアでお願いします!」「無料でやってください!」という無理なお願いをしてくる人がいます。これも、相手の気持ちをちゃんと考えて発言しているのかどうかが問われる問題です。

たとえば音楽家は一曲数分の楽曲を演奏するにも、実際にその曲を完成させるまでには膨大な時間と労力を使っているのです。
そもそも楽器というのは大抵が高額です。
簡単に入手できる代物ではありません。
お金もかかっています。
楽器のメンテナンスにもコストはかかります。
楽器によっては消耗品にお金がかかることもあります。
無料でみんなで音楽を楽しむのが目的で活動している人は別ですが、演奏をお願いするのなら、その辺の事情はしっかりと考慮に入れた上で頼んだ方が良いと思います。
もっと酷いと、相手の交通費も自費で支払わせて無償で演奏して欲しいとお願いする人も多いようです。

芸人さんも、そうですよね。
いつでもどこでも無料で誰かを笑わせるために芸人の道を志したわけではありません。
いじられキャラだったとしても、それは仕事上の設定であり、何時でも何処でも誰にでも、いじってくれるのを待っているわけではないのです。
だから例えば道端であった芸人に「おい、お前。今ここで俺を笑わせてみろ!」と突然言い出す人も稀にいるみたいですが、それは芸を見たいと言うよりも見下しに近い心理が見えなくもありません。
彼らの中には大道芸人もいるかもしれません。
しかし、これも勘違いしている人が多いですが、大道芸人はボランティアではありません。
金額設定こそされていないかもしれませんが、観客には投げ銭というギャラを支払う義務があるのです。
支払う気が無ければ、うっかり立ち止まってしまっても直ぐにその場を立ち去るのがマナーです。

イラストレーターやマンガ家さんも、無料で絵を描いて欲しがられることが多いようです。
ファンの方がサインをおねだりするくらいだったら良いかもしれません。
もちろんそれにもマナーはあると思いますが。
聞いた話によると「絵を描いて欲しい」とお願いされたから依頼通りに絵を仕上げたら「え?お金取るの?」と平然と言ってのけた人も存在するようです。
少し考えればわかることですが、絵を描くのが仕事の人が絵を描いてお金を貰えなかったら、どこから収入を得るのでしょうか。
有名無名関係無く、相手に対する敬意は払った方が良いです。

カウンセラーも、無料と勘違いしている方が多いです。
どんな趣旨でカウンセリングを受けたいのかをカウンセラーに説明するのは良いですが、それは説明であって、その段階で心の整理や問題解決を聴きだそうとされると困ってしまいます。
身近な誰かに話す人がいない、もしくは話せない内容だ、などの理由があるからカウンセラーに話に来るわけです。
だからこそ専門職に悩みを聴いて欲しいわけです。
「なんて冷たい人なの!」と激怒したり「どうせ、私なんか相手にして貰えないんだ……」と悲観的になったりする方もいますが、それは違います。

職業差別

ボランティアという言葉が安易に使われていますが、この言葉を使う際は真意を考えた方が良い気がします。
ボランティアを「そのくらいのこと、やってくれたって良いじゃない?」と思うレベルと思うなら、そもそも自分が率先してボランティアをすれば良いだけなのです。
音楽家が演奏するのは「そのくらい」でしょうか。
芸人の芸も「大した労力では無い」のでしょうか。
だったら、自分で演奏したり、自分でネタを考えて実演してみてください。
それが如何に難しいかがわかるはずです。

これは、見方によっては職業差別な気がします。
誰かの役に立ちたいと思う気持ちはボランティアの人で無くとも少なからず持っているものです。
有償だとケチと思われるならボランティアをしない人は心貧しい人でしょうか。
これは違います。
「自分は給料を貰っているけど、自分にできないところはボランティアとして無償でお願いします!」という方は本当に大事なことを見落としている気がします。

そもそも、ボランティアとは自発的にやることに意義があるのであって、誰かに強制されてするものでもなければ、「私もやってるんだから、あなたもやるのが当然でしょう!」というものでもありません。

ちなみに誤解を招かないために細くしておくと、ボランティアという存在を否定しているわけではありません。
ボランティアを有償化しなさいと言っているわけではありません。
ボランティアは自発的にするものだという事、お願いするならそれなりの配慮と感謝をした方が良いよ、というお話です。

冒頭のトイレのエピソードもそうですが、自分だけの能力や労力では補えないから代わりに誰かがそれをやってくれているのです。

選民思想を捨て、感謝の気持ちを大切に!

にも関わらず、何割かの人たちは無意識のうちに「コイツは無料程度の価値の人間……」「選ばれた人間のすることではない……」というようなレッテルをあちこちに貼っている気がします。
しかし!それらの殆どは偏見にすぎません。
そもそも1円も支払う価値が無い人に物事を頼むはずありませんものね。
価値があるからお願いしているのです。

そういう発想をしている人は気をつけないと心がどんどん劣化して行きます。
無条件で支配する側とされる側を識別してしまっているというのは危険思想以外の何物でもありません。

みんながいるから、世界は回っているのです。
みんな!いつも本当にありがとう!

》前回の記事はこちら《