快適生活は環境次第 ~ 環境が人を変えてくれる? ~ 適者生存とは

「私」という存在

私たちは環境の影響を色濃く受けています。
生まれた場所、生まれた時代、タイミング。
両親。地域の人たち、学校、職場etc……。

私たちは常に何らかの影響を受けて生きています。
つまり「私」という存在は環境によって作られていると言っても過言ではないかもしれません。

たとえば「私」という存在が宇宙の誰もいないところで自然発生して、誰とも出会わず、誰とも話をせず、という人生を歩んできたら、きっと「私」という人格は今とはまったくの別モノになっていたと思います。

さすがに、そういう可能性はあまり想像できませんが、もし違った境遇で生まれ育ったら「私」は本当に「私」なのだろうかと考えると、なんだか混乱してきました。
でも、そういう荒唐無稽に思えることを考えるって楽しいですよね。

 

「10年前の私」と「今の私」と「10年後の私」

この「私」という現在の人格。
自分の人格を考える時は「今」を基準にしますよね。
だって、私たちは常に「今」の連続を生きているのですから。

そう考えると「10年前の私」と「今の私」と「10年後の私」というのは、大幅な変化はないかもしれませんが、知らず知らずに人格も変わっている可能性がありますよね。

関わる人がずっと同じとは限らないですし、生活拠点が同じとも限りません。政治的な影響もあるかもしれません。
私たちは様々な環境の影響を常に受け続けているので、少しずつマイナーチェンジしているんですよね。

自覚している変化もあれば、自覚できていない変化もあって「私」という存在が日々変化していると考えると「私」という環境の一部が誰かに与える影響も、年月とともにマイナーチェンジしているのかなと思うと、不思議な感覚になります。
人って、常に誰かに何らかの影響を与えているんですよね。

 

人は環境によって変わる?

人は環境によって大きく影響を受けます。
だから、人はよりよい環境を求めます。
よりよい環境に行けば自分の人生はもっと輝くはずだと信じて。

もちろん自分の人生の質を高める環境を求めるのは良いことです。
ステキな仲間たちに囲まれて、平和に暮らしていけたら最高です。

ただ、ごく稀に環境は関係無く人生の質を下げてしまう人もいるので、今からその話をしようと思います。

ケース1:悪い環境

悪い環境の場合は強い意志を持って困難を乗り越えて自分自身を成長させると思います。人によってはそれを試練と呼ぶかもしれません。そうすれば、結果的にそれは自分を成長させるためには良い環境だったと言えるかもしれません。

ただ劣悪過ぎる環境で自分がどんなに知恵や勇気を振り絞っても、気合いや根性で努力しても物事がまったく上手くいかないこともあります。こんな時に自己評価が下がってしまうと「どうせ私は……」のループに陥ってしまう危険性があります。

時にはやむをえないこともありますので必ずしも自分が全部悪いと思い込まないようにして下さい。

ケース2:良い環境

普通に考えれば誰しも良い環境を求めます。
しかし自己評価が低い人が恵まれた環境にいると、必ずしも人生は良い方向には進まないことがあります。

「私は環境や運がたまたま恵まれているから、うまくいっているだけで、本当は自分自身には何の実力もなく、内心、周囲の人たちにもどう思われているか分からない。むしろ私は迷惑をかける側の存在だったりするのかもしれない……」

このように思ってしまうタイプは、完全に客観性を失っているのでどんなに恵まれた環境でも自分自身に納得できず、人生の質を自分から下げてしまうのです。

どちらかというと、その心理がオドオドしたり卑屈になったりして、周囲に悪影響を与えてしまう可能性があることを忘れないで下さい。自分もまた環境の一部なのですから。くれぐれも『エナジーヴァンパイア』にならないように心掛けて下さい。

また「運も実力のうち」なので、仮に自分が運に恵まれていると思ったのであれば、素直にその幸運に感謝すれば大丈夫だと思います。感謝の気持ちは環境を良くすると考えてみて下さい。