このくらい○○してくれたっていいでしょ? ~ コミュニケーションの注意点~

想いの温度差

人がぶつかる時というのは、自分の意見や想いが相手に伝わらないときがほとんどです。
たとえばタバコが苦手だとわかっている相手の前で「ちょっと、いいですか?」と言って相手の返事を待たずプカプカと喫煙されたら、高確率で人間関係に亀裂が生じます。

タバコが好きな人は「たかがタバコを吸った程度で目くじら立ててるなんて、心が狭いなぁ。一本くらい吸ったっていいじゃないか……」と感じているかもしれません。

タバコが苦手な人は「そんなにタバコが吸いたいなら、せめて喫煙所に行ってくれれば良いのに。どうしてタバコが苦手な人が目の前にいるのに平然と吸えるの?」と感じると思います。

問題は認識の違いです。

このケースだと喫煙者さんは「一本くらいならOKだろう」という前提で話をしています。
タバコが苦手な人は「タバコは喫煙所で吸って欲しい」と思っています。

ここではタバコの存在について問題視しているのではありません。
この喫煙者さんは、決して悪意があるわけではありません。

タバコが人によっては臭いと感じる事もきちんと理解しています。
だからこそ「一本くらいなら、そんなにニオイはないだろう」という彼(or彼女)なりの配慮をしているつもりなのです。

もし相手がタバコの煙を吸っただけで倒れてしまうほど苦手だとわかっていてプカプカと吸っているとしたらこれは明らかに嫌がらせです。

でも、彼は決して嫌がらせをしようとしているわけではなく、本来ならば何本も連続して吸い続けたいところを耐えているのです。

タバコが苦手な人は、本当はどこであろうとタバコを吸わないで欲しいと思っています。
喫煙者は気づきづらいですが、タバコのニオイは服や身体に染み付いていて目の前で吸わなければ問題がないわけではないからです。
でも、喫煙者には喫煙者の立場があるのは理解しているので、せめて喫煙所を利用して欲しいと精一杯妥協しているのです。

細かいコトをいえば、このケースではやや喫煙者さんがマナー違反ということになります。
ただ、ポイントは、双方が妥協しているにも関わらず関係にヒビが入ってしまっていることです。

私たちはよく「お互い様」という言葉を使います。

どちらにも悪い点というものはあるのだから、そんなにイライラしないで、お互い、水に流しましょうよという意味です。

しかし「お互い様」にも程度の問題があります。

数字で言うならぴったりとはいわなくても「50:50」に近い関係ならバランスが取れます。
「まぁ、しょうがないよね」で済むのです。
そもそも人間は完璧な存在ではありませんし、個性だってあります。

自分の価値観がすべて正しいわけではありません。
だから妥協する時はするで、問題ないのです。

「タバコが苦手な人」にも幅が結構あるのです。
「ちょっと臭いと思う程度」「頭痛がする」「吐き気がする」「感情が乱れる」と個人差があります。

また実際に具合が悪くなるわけではないけれど長期的な健康面でタバコをよくないものとして考えている人もいます。
時代的な流れで吸わないことがマナーと思っている人もいます。
つまり、ストレスの解釈も身体的、精神的、社会的という具合に人によって違うのです。

だから人によっては「短時間で、少ない本数なら、目の前で吸われても許容範囲」と思う人もいますし、「とにかくやめて!」と思う人もいます。

喫煙者の立場で考えれば、そもそもタバコが迷惑な存在だと思っていないから吸っている(と思う)ので、苦手な人が存在するとは頭では理解しても、どのくらい苦手なのかはイメージできていない場合も多いのです。
だから「本当はプカプカじっくり何本も吸いたいところを妥協しているのだから文句ないよね?」と思ってしまっても不思議ではないのです。(※お勧めはしません)

そうすると、それぞれの「想い」が通じ合えないので関係がこじれてしまうのです。

 

いつでもどこでも自分の想いを貫き通して良いの?

人は自分の自由に生きたいと思う生き物です。
だから、好きな時に好きなことができたら良いなと思っています。

ただ社会性を考えるとTPOはわきまえなければなりません。
ところで、自分の自由を尊重して欲しいと思う気持ちはわかるのですが、次の例を考えてみましょう。

就職活動で面接に来ています。
緊張のあまりタバコが吸いたくてたまりません。
名前を呼ばれて部屋に入りました。目の前には面接官がいます。
席に促され椅子に座りました。

「ここでタバコを吸えますか?」という話なのです。
目の前の面接官に「ちょっと、いいですか?」と言えるのかということです。