どうせ私がぜーんぶ悪いんでしょ? ~ 強制的自己責任論のキケンな罠 ~

だって、少し考えればわかると思います。
もし、自分の住んでいる地域が天災で壊滅してしまったら、どうでしょうか。

「私がこの土地に住んでいたからいけないんだ……」ということになってしまいかねません。
出先で偶然事故に巻き込まれても「私がその時、その場所にさえいなければこんなことにはならなかった……」と思ってしまうかもしれません。

しかし、これらは偶然であって、どうにもならなかった可能性だってあるのです。
前世の因縁を持ちだされたりしても、それこそスピハラであり、迷惑な話です。
あまりにも自己責任論に結び付けられると「そもそも私がこの世に生まれて来たことが間違いだった……」という結論につながりかねません。

「その経験することが前世からの宿命なのだから、悪いことじゃないのよ……」と言われても、だったら経験したから、それで良いのかというと決してそうではありませんよね。
経験することが目的なのだとしたら反省どころか目的達成になってしまいますから。
本末転倒ですよね。

とにかく、原因が必ずしも自分にあるという思い込みは危険であり、勘違いなので、今すぐに認識を改めて下さい。
そして、くれぐれも悪魔の呪文を誰かに唱えないで下さい。

繰り返し、その呪文で教育されると「また(よくわからないけど)私が原因でこんなことに……」と、不可抗力でさえも自己責任だと思い込んで苦しくなってしまいます。

 

問題があれば、素直に教えてあげて!

「何がいけなかったと思う?」
「わかりません……」
「本当にわからない?」
「はい……」
「もう少し考えてみて?」
「……考えたけど、わかりませんでした」

自分の過ちや失敗に自分で気づくことは大切です。
でも、最終的に何が望みかといえば、同じ過ちを繰り返さないようにすることです。
自分で気付かせることも時には大切ですが、相手を追い詰めることは目的ではないのです。

だから、もし相手にあからさまな落ち度があり、少し考えれば「あ、しまった!」と気づけること以外は、問い詰めない、追い詰めない。
これがベストです。
「じゃあ、どうすれば良かったと思う?」という質問もセットで危険なので注意して下さい。

人を成長させることは追い詰めることではありません。
結果的に追い詰められて潰れてしまうよりは「あの時は、○○すると良かったかもしれないね」とか「ああ言う時は、私は●●したらうまくいったよ……」という言い方が望ましいです。

追い詰められていなければ冷静さも客観性も保てます。
だから、改善案も教えてあげられれば素直に聞き入れて次につながる可能性が高まるのです。

人は習慣の生き物です。
だから、適切な言動を繰り返して行けば自分や自分を取り巻く人たちにも良い影響をどんどん与えられるのです。

自発性について思う節があるのであれば、まずは自分から自活的に「どういうコトバを使えば、物事が円滑に進むだろう?」と自問してみることからはじめてみてください。

 

《金城そに さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E9%87%91%E5%9F%8E%E3%81%9D%E3%81%AB/?c=6711