優しさの行き場所~優しさは難しく考えないで、心の声に導かれて~

時には優しさのつもりが、有難迷惑と思われる事もあるかもしれません。 でも、それも結果論に過ぎないのです。

優しさについて考えてみた!

優しさって何なのでしょう。
そもそも優しさについて考える必要性があるのかどうか疑問ですが、ふと、考え込んでしまう時ってありませんか。

「私、こんなに辛そうにしてるんだから、もう少し優しくしてくれても良いんじゃないの?」

とか、キレる人も時々いますが、これも具体的にどんな優しさなのかと考えると瞬時に答えが出るものではありません。

 

感情が暴走していると優しさを理解できない?

優しくして欲しいと強調しているくらいですから、その方はきっと周囲の人たちの対応に優しさを感じていないのでしょう。

では、本当に周囲の人たちは優しくないのかと言われると、それも一概にはいえないのです。
彼らは彼らなりに優しく接してくれているかもしれないのですから。

たとえば感情的になっている人って、何を言ってもキレたりしませんか。
絶対では無いですが、たぶん多いと思います。
恥ずかしながら私も機嫌が悪い時は、話しかけられただけで怒りが込み上げて来たりということもあります。
後々冷静になってみると、何故ただ話しかけて来ただけの人にキレてしまったのかわからなかったりすると恥ずかしくて顔から火が出そうになります。
相手にキレて良い正当な理由がなにひとつなかったりするのですよね。

でも、もしかすると私に限らず異変を感じて心配してくれて話しかけてくれたのかもしれません。
それって優しさですよね。でも、それを当人は優しさとは受け取らないのです。

逆に、マジギレして機嫌が悪い時や、悲しくて涙が止まらない時に、敢えて話しかけずそっとしておいてくれる優しさもありますよね。

それを素直に優しさと受け止められる人もいれば、誰からも相手にされず余計惨めな気持ちになってきたと解釈する人もいますよね。
実際は、この時点で変に関わりを持つと愚痴を長々と聞かされるのではないかと思って近寄らないだけかもしれません。
さすがにそこまでは本人に聞いてみないことにはわかりませんね。

ただ、どちらにしても優しさや善意というものは、定義よりも受け取り方の方が重要なのかなという気がしませんか。

 

優しくすべきか悩む?

優しさは受け取り方が重要だという話をしました。
ただ、優しさは受け取り方だけが重要なのかというと、そういうわけでもなさそうです。

自分の優しさをどう解釈し、どう使うかもとても大事なのです。
よくあるのが、優しさを損得勘定する場合です。

「せっかく友人の子にプレゼントを送ってあげたのにありがとうの一言も無い!」
「せっかくハンバーグをご馳走してあげたのに、ラーメンの話で盛り上がられた!」

といったように「せっかく○○してあげたのに」というパターンですね。
これもまた複雑な心理がはたらくというか、難しいかもしれません。

基本的に、優しさや善意は損得抜きで考えた方が良いと思うのです。
だって、裏があるならそれは優しさではなく駆け引きだから。