とにかくQOL(人生の質)を最優先して!~妥協が悪いわけではないけれど~

QOLというのは自分さえ良ければ良いというわけではありません。

イジメの話は抜きにしても、学校が好きなら学校という環境を存分に活かして楽しめばQOLは高くなります。高校デビューとか大学デビューとか、パッとしなかった子がある日突然、華やかになったり青春モードになったりすると笑う人もいますが、それはその人にとってはQOLを向上させる良いタイミングだったのであって、笑うところでは無いのです。
そんなふうに思考錯誤しながら「私らしさ」を受け入れ、表現して行くのです。

学校だけでは無く仕事についてもQOLを考えた方が良いです。
仕事と言うと真っ先にお金のことを考えがちですが、それはQOLの一部に過ぎません。
QOLが下がってしまうなら、その勤務先は合っていない可能性も高いです。

「仕事とは我慢料だ」という人もいますし、それも正解だと思います。
世の中すべてが自分の思い通りになるわけではありません。時には涙を飲む事もあると思います。
ただ、いつも涙を飲み続ける必要は無いのです。

ブラック会社かどうかは別として、改善の余地がある会社だと思えば、改善の余地を具体的にどのようにアプローチして行くかこそが大人に求められるスキルかもしれません。
というか、それが出来る人はおそらく出世すると思います。

職場と学校を同一視するのは少し違うかもしれませんが、基本は同じと思って良いと思います。
最低限の義務はこなしつつ、少しずつでも成長していければ良いと思います。
学校だって必ずしも親や先生におんぶにだっこで許されているわけではありませんから。

ただ仕事もQOLを高めるためのツールの1つだと考えるなら、会社に自分のすべてを捧げる必要は無く、会社の方針に100%従わなくてはならないこともないのです。
ただし、従わないで改善案も出ないなら、それは会社を去る時です。

しかし、会社に自分を無理してでも順応させることを最優先にしてしまうと、結果として心身が病んでしまうと思うのです。
その結果、作業効率が悪くなったり、それこそ「自分の健康管理もできないのか!」と怒られたりしても、どうしようもないのです。
会社としては売上が落ちてしまうと潰れてしまいますので、売上に貢献できない人は「無能」という烙印を押してしまいがちです。
ここが重要なのですが、仮に本当に無能だとしてもそれは、その会社にとって貢献できなかった、あるいは適応できなかっただけで人間として無能と言うわけではないので混同しないで欲しいのです。

怒る側も怒られる側も細心の注意を払って下さい。
というか、極力そういう表現は使わない方が良いです。
「私は無能な人間なんだ……」「私は不要な人間なんだ……」と結論付けてしまうと、それこそ心身が病んでしまいます。

気合いや根性も大事ですが、自分の心身に悪影響を及びして、なおかつ所属団体に不利益を出してしまうくらいなら、双方にとってQOLが低くなってしまいます。

不貞腐れたり自己否定をしたりせず、前向きに改善案を出して行動に移せるのなら、どんどん試して欲しいです。
そうでなければ「みんなは××だから……」とか「自分だけ△△だから……」ではなく、自分にとってのQOLを最優先して考えて欲しいのです。
そもそも「みんな」って誰という話なのです。
「自分だけ」というのは誰と比較してでしょうか。
実は、それほど多くの人数では無いと思います。

QOLというのは自分さえ良ければ良いというわけではありません。
人間の幸せの種類は色々ありますが、貢献のニーズを満たせるとより幸せを感じられるという話も良く聞きます。
それが正しいかどうかも含めて、自分にとってのQOLって何だろうと、時々自問自答してみると良いと思います。
QOLを考えずに「良い人生だった……」と言えれば万々歳ですが、良い人生は、自分の考え方や行動の与える影響力が非常に強いです。
簡単ではありませんが、QOLが満たされていれば、心身も健康で病気になりにくく生きていけるのではないかと思うのです。

 

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