「スピリチュアルに甘えるな。」その理由。 〜 嫌な自分も好きな自分も見るのだよ。

「今まではこうだったから……」「今更変わらないよ……」は経験で言っているだけで、さほど重要ではありません。そういう人たちは変化を恐がる自分を見ないで、ブレーキをかけているだけです。ブレーキを緩めることは快感ですよ。

カナイダです。
なんかタイトルで炎上しそうですが、お付き合い下さい。

僕は前の職場が俗に言うスピリチュアル的な雰囲気があり、そこで数年働くなかでだいぶ“そっち系”の入り口には入ることができました。
入り口に入ってみると様々なものが見えるようになるのですが、最近世間で流れるスピリチュアルに乗っかった人たちに違和感を覚えるのです。
そういうことってありませんか?

 

スピリチュアルは甘えではないよ?

まず、スピリチュアルとはどんな意味か。
↓ 以下引用。
英語のスピリチュアル(英: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま。英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する。(Wikipediaより引用)

なるほど。

一般的にはこの中の「精神的」「魂」とかのイメージが強いように感じます。
スピリチュアル系の書籍もたくさん出ています。
目を通してみると、その視点を通して自分を解放するために「ありのままに〜」とか「頑張らなくていいよ」とかいうアドバイスが書いてありますが、人によってはそれを言いように解釈しすぎ。
相対してみると違和感を覚えるのです。

 

嫌な自分も好きな自分も見るのだよ。

僕達が今回の肉体に入って過ごしている今は、僕達の魂の成長に必要な現実です。
ただその魂が行きたい方向は自分の肉体の意識とは必ずしも一致しているものではありません。
要は、意識的に向かいたい方向≠無意識が向かいたい方向ということ。

なぜならば成長に必要な「気づき」というのは、好きな自分だけから生まれるわけじゃないからです。
自分が普段から目をそらしている嫌いな一面も自分として認める作業が必要になります。
そんな自分を見ないで「私、好きに生きるのよ。」「楽しいことしかしないんだー」なんて本当終わっています。始まりません。

逆に、中には好きな自分を見れない人もいます。
幼い頃に恥ずかしい思いをして本来輝くべき一面に砂をかけている人もいます。
その人はその好きな一面を出すのが今回のテーマなのかもしれません。
要は自分を全部見よう。これですね。

 

変化を欲しよう。

僕達の脳って安定を求めますから、あれこれ都合のいいように考えて変化を遠ざけがちです。
その選択は直感を鈍らせます。
世の中のものは変わるのが自然なことですが、人間も例外ではありません。
毎日食べるものも違えば、周囲の環境も違います。
つまりは毎日変わるのが自然なのです。

だから「今まではこうだったから……」「今更変わらないよ……」は経験で言っているだけで、さほど重要ではありません。
そういう人たちは変化を恐がる自分を見ないで、ブレーキをかけているだけです。
ブレーキを緩めることは快感ですよ。

 

内観するって楽しいから。

内観って要は自分を見ることですが、内観するのって楽しいです。
素直に落ち着いて物事をみると、嫌いな人でも自分を成長させてくれることに気づきます。
嫌いな人こそ、自分の嫌いな部分に反応して目の前に来てくれていることがあるからです。

本当世の中不思議ですよね。
「嫌な自分も好きな自分も、自分の全部をみる。」
そういった視点は、きっとより良く生きることに繋がります。

以上、「スピリチュアルに甘えるな。」その理由、カナイダでした。

 

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