「何をしたっていいじゃない。全ては意味がある。」その理由。

様々な思い込みによって、一歩を踏み出せないことはあります。 「出来る、出来ない」で考えず、不安に向き合いながらも流れに身を任せることも時として必要です。

カナイダです。
時には「出来る、出来ない」で考えず、不安に向き合いながらも流れに身を任せることも必要です。

最近、そんなことを考えながら、何気なく昔のメモ帳をパラパラめくっていると、昔お世話になっていたある方からのメッセージを発見しました。
その時の僕にきっかけを与えたそのメッセージ。

今回は、そのメッセージをお伝えします。

普段と違って変わり種な記事ですが、少しお付き合い下さい。

 

「何をしたっていいじゃない。全ては意味がある。」

目の前の現実に必要ないものなんて一つもありません。
ビッグバンが138億年前に起きてから現在まで、ビリヤード台で弾けた玉のように次から次に止まることなく繋がっているからです。

全ては完全に決まっていて、それでいて自由なように、流れるように。
その流れに身を任せて、逆らわず受け入れ、流され。
仮に逆らっていたとしても、それもすでに決まっています。
沈むことすらも決まっているのです。

ただ、そのアナタの物語には必ずアナタが必要です。
自分がいるからこそ流れていて、誰か、また別の誰かにもその人とも連鎖した世界がここにはあります。

アナタの物語にはアナタは必要なのです。
価値のない人間だなんて思わなくていいのです。

 

「どれ選んでもいいんです。」

2つのうち1つを選ぶ。
その時に後悔の感情が湧き上がってきても、それはあまり重要ではありません。
それはすでに決まっているからです。

また、その現実は見たいがために見ているのです。

私達の魂はTSUTAYAで映画をレンタルするように一生で起きる物事を選んでいます。
悲しい映画もあれば楽しい映画もあります。
でもその刺激一つ一つは魂の成長に繋がるのです。
だから一見して必要でないものも必ず必要なのです。

後悔や悲しみがあっても、それも例外ではありません。
つまり起きた現実は、良し悪しで判断するものではないのです。

恐れや不安をあおる現代では悩みが多く溢れているようですが、言い切っていまえば、悩むことは無駄です。
悩むくらいの話なのだから、内心どちらでもいいのです。

どちらでも良い重要じゃないものへのエネルギーは一度手放して落ち着かせましょう。
一旦置いてあげてホっとすれば、波動は変化し、あとは勝手にその瞬間に流れ始めます。淡々と次に繋がるのです。

落ち着いてみてみると、様々な気付きがあります。
私たちは今まで経験したものがあって、幸せを作り上げているのに、知らないものを求める傾向にあります。
幸せにつながるものは、今見えている現実の中にあります。足りているのです。

それに気づかずに欲から欲へ。ただし、その中にも気づきはあります。
今この瞬間が気づきなのかもしれません。皆忘れてしまっているのです。
自分が気づけばいつでも、どんなときでも満たされていることに。

「何をしたいか?」といった目的を言葉で表現しなくても、今も人生の目的に変わらず向かって流れています。
不安であれば形を使ってもよし。
でもそれはあくまで、ただの形だから。
目指すものも形だから。
形がなくても、アナタがいるだけで、それに近づけています。

全ては完全に決まっていて、それでいて自由なように、流れるように。
その流れに身を任せて、逆らわず受け入れ、流され。
仮に逆らっていたとしても、それもすでに決まっています。沈むことすらも決まっていて、逆に浮き上がることも決まっているのです。

以上になります。
このメッセージが与えた影響はとても大きく、個人的に様々なしがらみを解くきっかけになりました。
ちょっと変わった記事になりましたがシェアさせて頂きます。

「何をしたっていいじゃない。全ては意味がある。」その理由。

カナイダでした。

 

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