ジュディスのサイキックメッセージVol.12
〜人生をどのように生きるか〜The way you are living your life.

余暇活動というのはどれも楽しく、それ自体に価値があります。ただ、他にもやりたいことはたくさんあったりすると、いまの経験を置き去りにして急いで次の活動に移りやすいものです。

人生をどのように生きるか。それによってわかることがあります。

私たちは存在そのものに意味があるのですが、生きているといろんなことが起きるので、その意味は見えにくくなっています。

人はそれぞれに多種多様な生き方をし、いろいろな学びや遊びを選び、自由な時間の楽しみ方も様々です。
大勢の人がスポーツに情熱を傾けるのもよく理解できることです。
試合で全力を尽くすというのは人を奮起させますし、スポーツで最高の成果が出るのを観戦するのも同じことです。
人は努力によってどこまで達成し得るかを見せてくれるのです。

現場で試合観戦していても、テレビの前で寛ぎながら見ていても、私たちはある程度まで参加している感覚になります。
そして元気が出たり、エネルギーが出たりします。

チーム同士で接戦になっているのを見ると、私たちのアドレナリンが反応します。
アドレナリンは怖いとき、興奮したときに身体から出る物質です。
アドレナリンは心臓をドキドキさせ、さらなるエネルギーを生み出します。
私たちの社会では何か行動して結果を出すべき、とされています。

こんな質問を受けました。

 

現代に至る前―昔の人々は、どんなことに関心を向け、没頭していたのでしょう?

釣りでしょうか?

何よりも釣りが大好きだ、という人は大勢います。
釣りは積極的に参加して行う娯楽活動ですが、どうしてこんなにも多くの人々がここまで没頭するのでしょう?
大昔は必要性があって釣りをし、時には一匹も釣れないときもあったのでしょうが、私たちはお腹が空いているから釣るわけではありません。

何時間もの間、報われるかどうかもわからない不快感を感じながら待ち続ける、そこになんの魅力があるのでしょう?
ボートで釣りをする人、冷たい荒波の中に立って釣りをする人、桟橋に腰かけて釣っている人、海の中、川の近く、いろんな場所で釣りをする人を見かけます。

熱心な人は完璧な川の流れを求めて遠くまで旅もします。
釣りをする人はとても献身的で、穏やかに没頭しながらも客観的です。
でも、どうしてでしょう?

釣りほど黙考を促してくれる活動はあまりありません。
もしかしたら、魚を捕りたくて釣りに行っているのではないのかも?

彼らは、ただ「存在する」ためだけに釣りが好きなのかもしれません。
釣りをする人はたいてい静かで、動きや話し方は優しく、釣竿を投げるとき以外は静止しています。
彼らは水や空を見つめています。

それらを自分の中に取り込み、誰かが一緒にいてもある程度の孤立・沈黙は保たれています。
もちろん、釣りに人種や言語・年齢の壁はありません。

釣りはじっと静止していたいという深い欲求に応える口実でもあるのです。
じっと、水の近くで待ち、変容が生じるのを感じたい、徐々に別レベルの意識が生じてきた時の変容を感じたいのです。

精神が静まると深いレベルの思考に気づき、ある種説明しがたいけれど、充実感を感じるのです。
それは釣りをする人たちにとってはこれ以上なく重要なことなのです。

もちろん、人は水の中で釣りをします―水は強力な象徴、潜在意識のシンボルです―そこには自然とのコミュニケーションという感覚もあります。

待って、リラックスして、ただ存在する。
瞑想に似ていると言う人は多く、魂のケアにも効果を奏する機会でもあるのです。

 

ほかにも、自らを発見する場所はあるかもしれません。

何か新しいことを学ぶことに集中することで、私たちは広がってゆきます。
こういう経験を積んでゆくだけが重要なのではなく、それら経験を吸収して自分の記憶の一部となり、それが終わっても維持していられるという能力も大切なことです。

余暇活動というのはどれも楽しく、それ自体に価値があります。
ただ、他にもやりたいことはたくさんあったりすると、いまの経験を置き去りにして急いで次の活動に移りやすいものです。
そうすると精神的な豊かさは得られず、活動の一日も曖昧に終わってしまい、人生はいつまで経っても達成できない目標の連続になってしまいます。
やりたいことに次々と夢中になる可能性もあります、そうなるとそれ自体の意味もなくなってゆきます。

私たちの思考は、私たちがやってみたいと「思う」ことにあまりにも夢中になるため、人とのコミュニケーションや人間関係は疎かになりがちです。
夢中になっていて自分の身の回りの人のこと、そういう人たちの気持を顧みてもいないという事実にすら気づかない場合もあります。

本当に有意義なのは何であるかを識別し、それに時間を割くことが大切です。
この多忙な現代社会では、 元気補充のために時間をとってもよいと自らに許可を与えるのも複雑なことになっています。
現代テクノロジーによって、そんな時間はどんどん奪われています。
人は携帯電話を自分の一部のように扱い、いつも電話するか、携帯をいじっているのです。

自分の魂にとって何が良いことかを考えれば、こういう欲求についてあるレベルではわかっています。
ただ、それが本当にそうなのだとは知らずにいるのです。

すべての人が釣り糸を買ってきて魚釣りに行きたい、とは思いません。
釣りは一つの例え話です。

釣りのように安らぎと沈思をもたらす活動はほかにもたくさんあります。
いろいろな娯楽を試してみる必要はあるかもしれません。
そうして、あなたの内なる部分を豊かにしてくれる雰囲気や性質をもつ「これだ」という活動が見つかることでしょう。