日本古来から伝わるいざなぎ流のエネルギー観を表す呪詛とは?

「呪詛」。この文字を「じゅそ」と読むと、スピリチュアルな力によって、「憎い相手に害を与える方法」ということになります。「じゅそ」ではなく、「すそ」と呼んだ場合には、スピリチュアルなレベルでの受け取り方が異なってくることもあるのです。

【呪詛とは呪い?】

「呪詛」と書くと、その文字からして「怖い物」というイメージがあるかもしれません。実際、この文字を「じゅそ」と読むと、いわゆる「呪い」を意味しており、スピリチュアルな力によって、「憎い相手に害を与える方法」ということになります。

こういった呪いは、呪術として「世界最古」ともいえるぐらい古くから存在しており、それを防ぐための方法も、同じぐらい古くから考案されていますが、今回紹介するのはそういった「呪い」ではなく、「すそ」というものになります。

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【「じゅそ」と「すそ」ってどこが違うの?】

「じゅそ」ではなく、「すそ」と呼んだ場合には、その単に読み方が違うだけでなく、スピリチュアルなレベルでの受け取り方が異なってくることもあるのです。

平安時代頃には呪いを「すそ」と呼んでいたので、すそも呪いではあるのですが、さまざまな民間信仰が集まって成立したとされ、今でも研究が続けられている「いざなぎ流」では、ちょっと変わったとらえ方をしています。

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【多くの人を魅了する民間信仰】

いざなぎ流とは、高知県の物部村(現在では統合によって、香美市)で伝承されてきた「民間信仰」です。よく、現代に残った陰陽道というような表現をされることがありますが、陰陽道との共通点や、関連性はほとんどなく、現在では民間信仰と紹介されることが多くなっています。

山深い村で伝承されていた民間信仰にもかかわらず、その内容は一部非常に洗練されており、特徴のひとつともいえる「御幣」は、それだけで写真集を作ることができるぐらい多種多様であり、スピリチュアルな力はもちろん、芸術性も高いものです。

そんないざなぎ流を身につけた人は「太夫」と呼ばれて、村で起こった様々な出来事に対処していきます。病気を治したり、自然の神様の怒りを収めたり、呪詛を返したりなど、かなりオールマイティで祈祷を行っているのです。

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【漫画や映画でおなじみとなったいざなぎ流の呪詛返し】

「呪詛返し」、いわゆる呪いを送ってきたものへと返す方法もあり、その呪文がかなり「おどろおどろしいもの」であることから、様々な創作物で引用されて、そちらのほうが有名になっているのですが、いざなぎ流独特の手法として「呪詛のとりわけ」というものがあります。

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【「すそ」とはネガティブなエネルギーをあらわしていた】

いざなぎ流では、呪詛は人間が発する呪いだけでなく、「家や物、人につくもの、さらには神からの怒りや、神の眷属によるちょっかい」など、要するに「ネガティブなエネルギーすべて」だとしています。この発想はスピリチュアルな世界とも共通しており、山深い村で伝承されてきた信仰とは思えないほど、洗練されたものといえます。

呪詛のとりわけでは、人々や家に取り憑いたネガティブなエネルギーである「すそ」を「みてぐら」と呼ばれる道具にどんどんと集めていきます。最初のうちは、人や家についたネガティブなものを集めて、次に死霊や生き霊、山の神などの自然神やその眷属など、とりあえず思いつくものをどんどんと呼んで、みてぐらへと収めてしまうのです。

このようにして収められた呪詛は、最終的には、呪詛の墓場ともいえるような場所に流されて、すべてが浄められて終了となるわけですが、多くのネガティブなエネルギーをみてぐらや、御幣に集めるために、呪詛のとりわけで使われたものは、「太夫以外は触ってはいけないと」されているようです。

非常に原始的なように見えながらも、スピリチュアルな世界観から考えても、一部充分に納得のいく理論をもっているいざなぎ流。すでに、太夫の高齢化が進んでいることもあり、後継者不足で存続が危ぶまれている状況ですが、日本古来のスピリチュアルな文化として、しっかりと残っていって欲しいものです。

Relationship between the curse and the negative energy.
Traditional Japanese folk beliefs “Izanagi ryu”.