信仰の自由、宗教の自由。すべては魂レベルを上げるために

その時の魂のレベルで、自分自身に強制が必要な時はそうしてもらえば良いのですが、他人の魂の自由を奪ってはいけない。 たとえ家族であっても。

出家はしましたが、特定の宗教に属していない筆者らツインも感じているのは、『より自覚的な態度』という部分。
特定の神様や仏様らを崇(あが)める宗教とは違い、言葉では言い表せないもっと大きな存在の中に自分が存在している。
より自覚的な態度とは、神様や仏様を信じるという分割された感覚ではなく、自分もその一部、という感覚です。
それは海や山に出かけた時、大自然の中に存在している自分を感じる感覚と似ています。

「大きな存在の一部だから偉いんだぞ!」ではありませんよ?
「ここに存在できていることがありがたい。」

そんなあたたかな感謝の思いが、心の奥にある魂から溢れてくるのです。
感謝が溢れてくると、他者のために何かをしたくなります。
何かとは、魂がこの地球でやるべきこと。筆者らで言えば、今のこのお仕事ですね。

溢れる魂の仕事は、常に大きな存在の一部であることを感じながら行いますから、とにかく幸せで楽しい! もっともっと魂の仕事がしたくなります。
つまり、魂のやりたいことが自覚として促されるわけです。
そこに地球で生きていくためのルールはあっても、宗教のような制約はありません。

この大きな存在の一部である感覚と、縛られない自由な幸せと自覚こそが、本来の【信仰】なのではないでしょうか。

 

宗教だって信仰だって、魂の自由!

地球には、いろんなレベルの魂を持った人間が約74億人もいるのですから、何に反応するかは人それぞれです。
だから宗教も信仰も、昔からこの地球に存在しているのです。

儀礼や制約のある宗教に引き寄せられるのであれば、その中で学ぶものがあります。
魂の自覚と自由が促される制約のない信仰に引き寄せられるのであれば、またその中で学ぶものがあります。

地球は、次の次元に上昇していくための、学びの場。
もっと客観的に宇宙視野で見るのなら、破壊的なカルト集団でさえもその人にとっては学びの場です。
魂にとって必要の場、ということですね。

ただ、提案はしても、強制はやめてほしいと思います。
『強い』『制約』は、大いなる宇宙の本質ではありません。
強制勧誘する宗教は、他人の魂の道を奪ってしまうからです。

その時の魂のレベルで、自分自身に強制が必要な時はそうしてもらえば良いのですが、他人の魂の自由を奪ってはいけない。
たとえ家族であっても。
奪う行為をすると、いつか自分も何かを奪われる未来を引き寄せてしまいますよ。

魂は、いつでも『自分』を『由(良し)』と認め、レベルを上げようとする自由なエネルギーに満ち溢れています。
もしもあなたの今いる場が、何か自分を下げるようで合わないと感じるのなら、無理にそこにいる必要はありません。
どうぞ、こっそり(笑)サヨナラしてください。

あ、この合わない感覚には気をつけてくださいね。
苦しいだけではなくて、必ず「下がる」感覚があるかどうか、自分にフォーカスしてください。

同じ苦しさでも、上がるための苦しさもあります。
そこから逃げてしまったら、また別の場所でやり直しになってしまいますから。

※所属の宗教団体をやめる場合、何かしらの戒律が作られていることがあります。
例えばイスラム教は、棄教=死刑というような。その点はよくお調べください。

ひとつ手放せば、ひとつ新しい必要なものが入ってくる。
宗教だって信仰だって、どれを選択しようと別にいいじゃないですか。

あなたの魂は、誰の魂に従う必要はないのですから。
その時が来たら、躊躇せず思いきって飛び込んでみるのも、魂の次の道を開く手だと思いますよ。

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