レイ・チャンドラン~夏至のイスラエル Vol.1~

道を聞いたお兄さんが車に乗せてれくれて、無事にヨハネ教会に到着。 入った途端、思いがけず力強い、深く動かされる波動に感動。。。

イスラエルは火の要素が強い国。

陽が極まる夏至にその恩恵を受けようと、死海周辺で過ごすことを意図してイスラエルでのリトリートを開催しました。

今回のレイのツアは、日本よりも台湾からの参加が多く、中東の強い地場と政治的な混乱の中で、グループとしてどこまで調和を保つことができるかが自分なりの課題でした。

2月にエジプトに行った時には、日本人誘拐事件などの影響もあり、周囲も、私自身もかなり気合をいれて準備を整えたのですが、イスラエルは随分時間が経っているとは言え、観光ガイドとして住んでいたこともあり、ほとんど準備をしないまま向かってしまいました。(後から反省。。。)

 

イスラエルに行くなら、聖書の知識は必須。

行く前に旧約・新約とも聖書を読んでおくのと置かないのでは、深みが100%違ってきます。

ガイド時代に使っていた古い聖書を持っていったのですが、飛行機でも映画を見てしまったりでヨシュア記あたりまでで時間切れ。

新約聖書に関しては全く目を通さないまま聖地を回ることになってしまいました。

さて、私はツアーの始まる2日前にイスラエルに着いて、長いことあっていなかった友人、ニコルの家に泊まることにしていました。

イスラエルのヘブライ語語学学校のクラスメートだったニコルは、アシュケロンという南の町に落ち着き、ご主人、娘と暮らしています。

空港に着いて、出口にいるニコル親子を見つけて、興奮して手を振ったのですが、気づいてもらえず・・・

近づいていくと、何やら深刻そうな顔をしてニコルも娘のナオミも泣いています。

肩を叩いたらようやく気づいてもらえたわけですが、開口一番、シャロンの母親が今、亡くなったの・・・とのこと。

シャロンは私のルームメイトだった人でもあり、今回は彼女にも会えるかな、と考えていたのですが、結局、翌日のお葬式で久しぶりの再会を果たすことになりました。

イスラエルのお葬式は初めてだったのですが、喪服ではなく、みんな、普通の格好。(だから私もすぐに行けたのですが・・・)

サマードレスのような人もいれば、ジーンズ、ショートパンツの人もいて、お葬式だから特別な服を着る必要はないようです。

お墓の敷地内にスピーチができる場所があり、その前に遺体が置かれるのですが、棺桶という習慣もないようで、遺体が布に包まれてテーブルのようなものに置かれているだけなので、かなり生々しく、だからなのか、通常は子供は参加しないそうで、実際にシャロンや彼女のお兄さんの子供達も来ていませんでした。

シャロンやお兄さんが生前の母親について短いスピーチをしたあと、埋葬に向かいました。

こちらは土葬なので、もともと土地の少ないイスラエルは、どうしているのかと思ったら、お墓が高層の駐車場のようになっていて、(高層といっても4階ほどでしたが)、それぞれのフロアに長方形の穴が幾つも空いていて、そこに遺体を入れて土をかぶせ、お花をおきます。

葬儀は1時間ほどであっけなく終わり、シャロンとも少し話すことができました。

母はまだ死にたくないって言ってた、と言っていましたが本当にその執着の念というのか、そういうものを感じました。

魂が決めた時に逝く」ことにはなっているそうですが、魂と同調するのは難しいことですから、表面的な意識、意思に反して亡くなる、という状況はよくあるのでしょう。

「死」という象徴的なテーマから始まった今回の旅は、色々な側面で物事が推測とは違う形で進んでいき、継続して新しい環境で新しい選択を迫られる、もう過去を基準にはできないことに念を押されるような過程になっていきました。

 

帰り道、
昔住んでいたラマットガンという町に
寄ることにしました。

テルアビブの隣の住宅街ですが、都会過ぎず、でも便利な住みやすい街で、イスラエルに住んでいた時には、この街で3回ほど引越しをしています。

この辺だったはず・・・とウロウロしていたら、昔住んでいたアパートを発見。

楽しいことも、嫌なことも、色んな記憶が蘇ってきて・・・

イスラエルでは、何度かルームシェアをして、ルームメイトに悩まされたこともあったのですが、あの頃の自分は、嫌だと言えなかったり、頼めなくて全部自分が背負い込んだり・・・

自分が確立していなくて、境界線を引けなかったことで色んな苦労をしていた気がします。

今となってはそれもいい思い出。

あの頃の日々が自分の芯を通してくれたんだな、と感謝しました。

その日は夜遅くまでガールズトーク。

本来、早寝、早起きの私ですが、もうしばらく会えないと思うと半分気絶しそうになりながら、昔のことや、これからのことを延々と話していました。

 

ニコルに会ったのはもう18年も前のこと。

ニコルはアメリカで出会ったイスラエル人と結婚してイスラエルに移住したばかりの時、私もガイド学校を終えたばかりで、二人共、仕事もなく、友達もいない、そして妙に独立心が強いところが何となく共鳴してすぐに仲良くなり、ルームメイトと上手くいかなくなった私に、空いている部屋があるシャロンを紹介してくれたのもニコルでした。

あの頃はシャロンも失業中で、恋愛やら、お金のことで傷ついたり、助け合ったり。その時はただ生活を存続させることに必死で将来どうなるかなんてまったく話題にも登りませんでしたが、その後、ニコルは新しいパートナーと仕事を見つけ、私も何故かインド人と結婚、シャロンはシングルマザーになり・・・

私達、色んな状況を乗り越えてここにいるんだね、としみじみ語ってました。

ウィリアムシンドロームという発達障害の娘がいるニコルは、自分が居なくなったあとの娘を心配して代理出産を手配するような話をしていたのですが、その話が進んで、来月、2番目の娘が生まれるとのこと。

2年前に代理出産の話を聞いたときにはかなり複雑な気持ちだったのですが、もう彼女が決めたこと。

 

生まれるからには応援したいと思います。

代理出産や精子バンクによる出産は、イスラエルでは本当によく聞きます。

少し前のネパールの地震の際も、イスラエル人の代理母の多くがネパール人なので、イスラエルが代理母のために特別なビザを発給するというニュースを聞きました。

日本ではまだ聞かないと話すと、まだ違法なのでは?

EUでも法的に認められていないよ、との話でした。

アメリカでは合法なので、ニコルはアメリカで手配したそうです。

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エイン・カレム

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さて、翌日、早朝に友人を空港で迎え、エイン・カレムに行きました。

ここはエルサレム近郊の丘で、ホテルへの行き方を地図で調べている時にエイン・カレムにナオミの泉と書かれている場所があったので、単純にを感じて行くことにしました。

そもそも、エインはヘブライ語で泉なので、水が出る場所で水源好きな私は泉と聞くとどんな名前でも行ってみる気になるのですが、ここは聖母マリアの泉とも書かれていて、興味津々。

エイン・カレムはシャガールのステンドグラスのあるハダッサ病院の礼拝堂が有名で、私もそこしか行ったことがありませんでしたが、洗礼者ヨハネの生地でもあったそう。

最初に立ち寄ったのはハダッサ病院のロシア正教会の教会でしたがなんだか違和感を感じる場所でした。

そもそも洗礼者ヨハネの教会を目指していたのにタクシーを降ろされたのがロシア正教会で、ヨハネっぽくもなかったので、ここがマリアの訪問教会かな~などと言いながら、ウロウロしていたのですが、ロシア正教独特の密教的な波動も入り混じってまったくしっくり来ず・・・

調べてみるとやっぱり違うのでヨハネの教会に向かうことにしました。

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聖母マリアが洗礼者ヨハネの母、エリザベスを訪ねたときに、立ち寄ったとされる泉

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道を聞いたお兄さんが車に乗せてれくれて、無事にヨハネ教会に到着。

入った途端、思いがけず力強い、深く動かされる波動に感動。。。

洗礼者ヨハネ、そんなにつながりを感じていなかったのですがこの人あってこそのイエスで、場所の波動を整えるのに不可欠な人だったんでしょう。

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翌日からツアーが始まります。