苦からの解放/正しい自覚ってなんだ?「正念」①~梵字画家と歩く仏教小径

【母、まさかの発言in住吉神社】

先日、母と福岡へ行きました。

せっかく遠出をしたのだから、そのお土地の神社にお参りしてこよう! と決めて足を運んだのが、住吉神社でした。

住吉神社は、伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)が禊祓(みそぎはらえ)をされた時にお生まれになった、底筒男神(そこつつおのかみ)・中筒男神(なかつつおのかみ)・表筒男神(うわつつおのかみ)をご祭神としています。

そんなわけで、住吉神社の御神徳は、禊祓の御出現から、「『心身の清浄』を以ってすべての災いから身を守る」というものなのだそうです。

そのご利益の通り、澄んだ空気に包まれた、風が抜けていくような清涼感のある空間。
新緑も目にまぶしく、神々しいその清浄な空気を胸いっぱいに吸い込んだまさにその時、私の心のワーク(=八正道の実践)の瞬間が訪れました。

「どうしてお賽銭ってしないといけないの?」
今まさにお賽銭を投げ入れようとする私に、母がこう言ったのです。

 

【そんな彼女を分離したい衝動にかられるが……】

(え? あんた、なんば言うとっとね)

あまりのことについ、博多弁になる私の思考。
自分でも血の気が引くのが分かった瞬間でした。耳を疑うってこういうことなんだなと、妙に腑に落ちた瞬間でもありました。

そんな私の動揺などどこ吹く風。母は無邪気にも、こう言葉を続けました。

「日頃の感謝を込めてお参りしていて、感謝はちゃんとしているんだから、お賽銭て必要なくない? 神様、えげつなくない?」

(ひーーーーーー!!! えげつないのはそんなこと言っちゃうあなたでしょー! お願いだから黙って!)

声にならない悲鳴をあげる私。キラキラした目で私を見つめる母。

その直前まで「住吉神社は、どんな神社なの?」「なんていう神様が祀られているの?」と私に聞いてくるなどして熱心に事前学習をし、鳥居の前でも深くお辞儀をして、ちゃんと作法をわきまえていた母なのに、突然のこの発言。一体なんなんだーーーーーーー!!!!?

 

【自分のマインドとして責任を持ち、天に委ねる】

(母、こんな発言してますけども!!!)
(彼女が見せてくれている私の『無自覚なマインド』、ホントやばいんですけども!!!)
(でも、そんな母は、私のマインドの反映でしかありません)

私の頭の中を目まぐるしく思考が駆け巡ります。
「そんな彼女は私です。どうか助けてください」と、天に助けを求めます。
すると、あっという間に、いつものように、彼は現れました。

マスターブッダ。

清涼感あふれる祭壇の前で、そこの空気に負けないくらいの浄化の空気感をたずさえ、私の口を借りて彼は母にこう言いました。

「ねえ。感謝や仕事に対する報酬を、人間には支払えるのに神様には払えないって、どういうこと? 私たちにご利益をくださる神様に、お願いだけしてお礼をしないなんて、失礼だよね? それに、安楽寺(うちの菩提寺)だってお金が無かったら修繕ができないって、この前ご住職がお話しされていたでしょう?」
サクッ。

あ、最後の「サクッ」は、言葉と同時に、ブッダが勇者の剣(金剛杵)で母の頭を刺し、エゴ(煩悩)を消し去った時の音です。

次の瞬間、「たしかに~」と、母は笑顔でうなずいて、「失礼しました~」と言いながら、ちゃんとお賽銭もして、ゆっくりと手を合わせ、神様に日頃の感謝を述べていました。

天に感謝。
さすがブッダ。

 

【「正念(しょうねん)」とは正しい自覚のこと】

八正道の実践のうち、「正見による正しい自覚」のことを「正念(しょうねん)」と言います。
「念」というと何かを祈念したりすることと思いがちですが、ここでいう「念」とは「自覚」のこと。

では、私たちはどんな自覚を求められているのでしょうか。
ひとつひとつブッダに教えてもらいながら理解していくとしましょう。

「まず、『目の前にいる相手は、自分が自覚できていない自分のマインドを見せてくれている』と自覚すること。そして、『この世界で起こっているすべての出来事は、自覚できていない自分のマインドの反映である』と自覚すること。これが、『正念』=『正しい自覚』です」byブッダ

 

後編へ続く

 

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