苦からの解放/ソクラテスと共に「正思惟」~梵字画家と歩く仏教小径

偉大な哲人に学ぶ、正見にもとづく正思惟の姿勢。ぜひ中道の精神で実践していきたいものです。

【やばすぎる! 無邪気哲人ソクラテス】

ブッダに出会うまで、尊敬する人No. 1はソクラテスでした。
「無知の知」とは、古代ギリシアにおいてもっとも有名な哲学者といえる彼の言葉です。

ちなみにソクラテスはどういう人かというと……。

ある日、ソクラテスの弟子がアポロンの神託所で「ソクラテス以上の賢者はいない」というご神託を受けてきます。が、「自分、そんなに賢明ではありませんから」と思っていたソクラテスは、そのご神託に対し、あろうことか反証を試みてしまいます。神さまの言葉を素直に聞いて受け取っておけばよかったのに、変なとこ真面目。武士か。いや、天然か。本当に「自分なんて」って思っていたのでしょうね、きっと。

で、何をしたかというと、世間で評判の賢者という賢者を訪ねまくって、その人たちが自分より賢いってことを証明しようとしたわけです。

けれど、ソクラテスが彼らの賢さを証明しようと質問をすればするほど、その人たちの論理性のなさや矛盾点や知識の限界を当の本人たちに自覚させてしまう結果となるわけです。聞かれた方も質問攻撃に遭って余裕がなくなると、「あっちいけー。自分はこれで満足してるのだ。えーん」ってなるでしょ? あれです。

しかもソクラテスったらその結果、「みんな、本当には知らないのに、知っていると勘違いしている! そういう意味では、すべてのことを知っているわけではないということを自覚している自分の方がたしかに少しばかり賢い! なんだ、俺、ほんとに賢者No. 1だった! あはははははは」という結論を導き出すわけ。わー、無邪気。無邪気なだけにむかつく(笑)

 

【弁明ではない、真理を語った公開裁判】

しかしながら、彼が気づいた「無知の知(知らないということを知っている、ということ)」は、絶対真理。

その真理を広める者として、賢者たちの無知を指摘し、彼らを真の賢者にすることをライフワークにしちゃったものだからたいへん。無知を指摘された人たちはそもそも「自分は無知じゃないから!!! 賢者と呼ばれるまで、たくさん勉強したんだから!!! 修行もしたんだから!!! これで満足なんだから!!!」という世界観の中に生きていて、ソクラテスの世界観を認めちゃったら自分の価値がなくなってしまうという怖れにとらわれているわけです。今いる自分の世界にしがみつくわけです。結果、ソクラテスはそうした賢者たちから憎まれ、あらぬ理由をつけられて公開裁判にかけられ死刑を言い渡されてしまうという(笑)

ソクラテス、中道を知っていればよかったのにな~。ね、ブッダ。

 

【正見について考える】

そんなソクラテスの話はさておき。
正思惟(しょうしゆい)とは、苦しみから解放されるためのワークである八正道(はっしょうどう)のうちのひとつです。思惟とは、考えること。正見にもとづいた正しい考えのことです。

では、正しい考えって? 何をどう考えればいいの~?

「まず、正見についてよく思惟しなさい」byブッダ

正見の最初のステップ、四諦(したい)についてよく考えることは、因縁性(いんねんせい=縁起性)や諸行無常(しょぎょうむじょう)のことをよく考えることでもあります。
四諦とは、

①苦諦(くたい)。この世は苦であるという真理。
②集諦(じったい)。苦の原因が煩悩や執着(つまり心が原因)であるという真理。
③滅諦(めったい)。苦の原因を滅するにはどうすればよいかという真理。つまり、執着を断つことが苦しみを滅するさとりの境地に入ることであるという真理。
④道諦(どうたい)。さとりに導くにはどのような実践をすればよいかという真理。つまり、八正道のこと。

 

【ブッダの生涯も、実践の連続だった】

生きていれば、様々な人との出会いや出来事により毎瞬心がざわつき、迷います。それは目覚めた人であるブッダも同じ。ブッダの物語には、悪魔(マーラ)との対話がよく出てきます。ブッダが人生における大切な選択をしようとする度に悪魔が登場し、「お前にはそんな自由もなければ力もない」と、ブッダの心を挫こうとするのです。

事実を事実通りに受け取る事釈(じしゃく)と、精神的なものとして受け取る観心釈(かんじんしゃく)という解釈の仕方が仏教にはあり、このエピソードを観心釈(かんじんしゃく)で解くと、悪魔はブッダ自身の心の迷いや執着ととらえることができます。

悟りをひらき目覚めた人となったブッダも、悪魔が登場する度に、絶対真理の光の中で自分自身の心を見てよく観じ(正見)、四つの真理に照らし合わせた時にこの出来事や自身の心のざわつきはいったい何なのだろうと考えました(正思惟)。そうして真理に対する確信を深めていったのです。悪魔とのやり取りのひとつひとつが、ブッダの実践活動であったとも言えるのです。

 

【無知の知を知る】

そして、正思惟を実践する際のもうひとつのポイントは、自分はこの世界のすべてを理解しているわけではない、ということをよくよく自覚しておくということ。もしくは、自分はこの世界を正しく知覚できているわけではない、ということをよくよく自覚しておくということ。

「無知の知」byブッダ・ソクラテス

「人智の価値はわずかばかりか、もしくは無い」「最大の賢者とは、自分の智恵が実際には無価値であることを自覚する者である」という真理を知ってしまったソクラテス。その純粋なまなざしは、たしかに「正見」そのもの。そしてその行動は「正思惟」そのもの。

観心釈を用いてみてみると、ソクラテスのとった行動も結局は、自分自身の中にある真理に対する疑いの心をひとつひとつしらみつぶしにつぶしていくという、心の研鑽の人生のあらわれであったのではないかと考えられます。偉大な哲人に学ぶ、正見にもとづく正思惟の姿勢。ぜひ中道の精神で実践していきたいものです。

 

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