「百聞は一見にしかず」だけど、目に力を与えない在り方をしよう!

私たちは人を見るとき、自分の中の誰かのイメージや、過去に抱いたイメージを重ね合わせて、その人を判断しようとしていますが、本当に正しいのでしょうか?

 

内側で感じるものは、意識で見ています

手をつないでくれているパートナーは、温かく誠実な波動が感じられました。さきほどアイマスクをする前に挨拶をしたときは、硬い感じの事務服的な服装に、この人の内面を感じることを忘れていました。

 

パートナーはその優しい柔らかい波動をもっているのに、この服装では本来の彼女が表現されていないなと感じました。服装は第一印象を決めてしまいます。とても大事だけれど、それによって、本来の純粋なその人を見ることを忘れてしまわないようにしたい。

「百聞は一見にしかず」だけど、目に力を与えない在り方をしたいものです。

 

さて、アイマスクで目を覆いながら、自分の感覚にさらに意識を向けていきました。内側で感じるというのは、内側で映像を見ているのではありません。感覚で見ているのです。このあたりの表現が難しいと感じるのですが、物質として存在する前の波動を感じるのです。

すると、色もわかります。色も波動をもっています。
ピンクは、やわらかくてふわっとした波動です。
黄色は、きりっとして生き生きした感じがします。
紫の落ち着いた穏やかさや、白色の、意識のどこにも押される感じがなく溶けるような感じなど、色の波動を感じながらホール内を
感覚で見ていきました。

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鉄の波動、カーペットの波動、木の波動と。
この世界にあるすべてのものに波動があります。

目で見ることに重きを置いてしまうと、そのものの本来の波動を感じることを忘れてしまいます。

内側で感じるものは、意識で見ています
そして、私たちは普段それを使っています。

例えば、両親が喧嘩、または家族の誰かが喧嘩していたとき、家に帰って玄関に入った瞬間、「嫌な感じ、ピリピリし空気がある、喧嘩したんじゃないかな」などと感じることがあると思います。
その場にある空気を読むことをしていると思います。

ネガティブな波動は見つけやすいものです。
「嫌だな」という感覚で発見できるからです。

私たちの内なる感覚をネガティブな波動の発見にとどまらず、
あらゆるものに向けることができたら、
私たちはもっと、純粋にそこにあるものを感じられ、楽しめます。
にせものと本物もすぐにわかります。

目で見ることは大切ですが、同時に
自分の感覚すべてを動員して、もっと世界を感じてみてください。

きっと、美しいものをたくさん発見できると思います。
そして、自分の感覚をもっと信じられるようになります。
すべてのものは波動でできています。

「百聞は一見にしかず」だけど、目に力を与えない在り方をしよう。

 

フルフィルメント瞑想SOMA
高見澤幸子

http://imhealing.net/