モノを浄めて食材にする神聖な儀式庖丁式とは?

現在の神社ではお供えをしているわけですが、かつて、日本には「神様とされていた人物が存在していました」。それは「天皇」。現在では日本の象徴的な存在とされていますが、それまでは天皇は神と同等の存在、すなわち「現人神(あらひとがみ)」であったのです。

【食事と死の関係】

私たち人間は、基本的に「何らかの食べ物を摂取しなければ生きていくことが出来ません」。

それはすなわち、「命を食べることに他なりません」が、厳密にいうと植物でも、動物でも食卓に上るものは命を失った「死骸」ということになります。

古い時代の日本では「死」に触れることを「強い禁忌」としていました。死に触れてしまうと「穢れた」と考え、貴族などは一定期間家からでずに、誰ともあわないという「物忌み」を行う必要があったほどです。

しかしながら、前述したように人間は食物を食べなければ生きていけません。ですので、食材となったものに関しては、動物を解体したり、魚をさばいたりする人たちを穢れたものとして、口に入るものは穢れてないという解釈をしていたのです。

 

【神に捧げる食事とは?】

一般の人ならば、このような解釈でも問題はありませんし、植物の場合はより「死」という概念がわかりにくいので、お寺などでも「菜食によって穢れから遠ざかっていた」わけですが、特別な存在、すなわち「神様」に捧げる食事は出来るだけ「穢れがないようにする」必要があります。

神様は実際には食べないので、「お祓いをした食べ物を奉納すればいいのでは?」 と思うかもしれませんし、実際、現在の神社ではそのようにしてお供えをしているわけですが、かつて、日本には「神様とされていた人物が存在していました」。

それは「天皇」。第二次世界大戦後に人間宣言をされたこともあり、現在では日本の象徴的な存在とされていますが、それまでは天皇は神と同等の存在、すなわち「現人神(あらひとがみ)」であったのです。

神聖

 

【料理を儀式へと変える】

そんな天皇に捧げるために、出来るだけ「穢れを取り去った料理を提供する」ために考え出されたのが、料理の儀式ともいえる「庖丁式」です。この儀式は、日本料理の技術の粋が集まったともいわれているほど、繊細なものであり、古い時代には多くの流派が存在していました