『ひな祭りにまつわるあれこれ』あなたはどれぐらい知っていますか? 

今では、桃の花のイメージと、雛人形から「女の子の日」というのが定着していますが、本来は女の子に限らず、「子供全ての穢れを祓う日」だったのです。

【意外と知られていないひな祭り】

3月3日は「ひな祭り」。女の子の節句として、お雛様を飾るというのは、日本中の家庭で行われています。しかしながら、ひな祭りの始まりや、お雛様の起源、そして、なぜ3月3日に行われるかというのは、意外と知られていないのではないでしょうか?

 

【身代わりに穢れを受けた人形】

ひな祭りは、その名前の通り、「お雛様」が主役。しかしながら、現在のような形になったのは比較的新しいもので、そもそもの起源は「子供の穢れを身代わりに受けてくれる人形」だったのです。

人と同じ形をした「人形」が、人間の身代わりになるという発想は古くから存在しています。紙で作った人形に穢れを移してから祓うというのは、現在でも神社などで行われていますし、人形を恨んだ相手に見立てて、それに害を与えることで呪うというのは、世の東西を問わずポピュラーな手法です。

 

【人形を川に流して浄化する】

そんな穢れを受けた人形を浄化するための手法として、「流し雛」が生まれました。その歴史は古く、『源氏物語』にも「光源氏がお祓いをした人形を船に乗せて海に流した」という記述が出てきます。穢れを消し去るために、川から、さらに海まで流してしまうというのは、神道の大祓詞にもその概念を見ることができます。この祝詞では、様々な罪穢れを列挙し、それらが「祓戸の神」という四柱の神様によって浄化されていくところが描写されていますが、その祓えのもっとも最初として、「瀬織津姫」という神様によって、罪穢れが大海原へと持ち出されるのです。その後、風や海流などに流されて、最終的には黄泉国に漂着して消えていくわけですが、流し雛は、まさにこの祝詞を具現化した風習といえるでしょう。

ひな祭りに流し雛を行うという風習は、一般ではほとんど行われなくなってしまいましたが、京都の「下鴨神社」をはじめとして、神社では未だに流し雛を行っているところもありますので、ひな祭りの起源を体験したいという方は参加してみると面白いでしょう。

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【人形が飾られるようになった理由】

さて、本来は海に流されていたはずの人形を飾るようになったのはなぜなのでしょうか? こちらも「穢れを祓う」ことに関係しています。今でも幼児にはぬいぐるみや、人形などがおもちゃとして人気ですが、古い時代にはおもちゃとしてだけではなく、穢れを祓うための「実用品」としての意味合いも供えていました。

幼い子供をを病気や災厄から守るために、常に側に置かれていた「天児(あまがつ)」は「こけし」と「かかし」をあわせたような非常にシンプルな形をした人形ですが、子供の枕元に置いておくことで、「身代わりにネガティブなものを引き受けてくれる」と考えられていました。さらに子供が3歳になるまで、持ち歩かせた「這子(ほうこ)」という人形もあります。こちら「ぬいぐるみの原型」とも言われていて、中に綿が入っており、子供が常に持ち歩いたり、抱きかかえたりすることができるようになっているのですが、もちろん、こちらも身代わりとして穢れを引き受ける役割をしていました。