なぜ、自殺をしてはいけないのかという根源的な命題について

過酷な運命を受け入れ、それでも強く生き抜こうと決意した清らかな命だってあります。 あなたの命は、あなたひとりの物ではありません。

この世に降りたった“仮の客”として―生まれる前に決めてきた“魂の課題”をクリアしよう

私たち人間は“魂”だった頃、一点の曇りもない“人生の目標”を選んで、この世に生まれ出ます。

「ボクは今回、32年くらいの短い人生を選ぶよ。
最後はガンで死ぬ宿命を定めたけど、短い人生でどれだけ多くの友達をつくれるかを試してみたいんだ」

「私は前世で結婚せずに生涯を終えたから、次の人生では一杯子どもを産んでみたいわ。
優しい男性とめぐり逢って素晴らしい恋をして、温かい家庭をつくってみたいの」

無意識の中にかすかな魂の記憶をとどめながら、それぞれの夢の実現に向かって、与えられた人生を一生懸命“生き抜く”こと。それこそが、私たちに課せられた使命です。

江戸時代初期、高僧の名をほしいままにした沢庵和尚(1573~1646)の言葉を弟子達がまとめた『結縄集』に、こんな句が収められています。

たらちねに/よばれて仮の客に来て/こころのこさず/かえる故郷

この世に生まれてきたと思わずに、この世に客として来たと思うなら、様々な苦労も苦にはならないでしょう。
夏の暑さも、冬の寒さも、客である以上は少々辛抱も必要だ。
この世でめぐり逢う人々は、たまたま同室に泊まり合わせた相客である。
そう考えれば、人との出逢いとはなんと神聖なものだろう。
ああしておけば良かった、こうしておけば良かったという後悔は残さないように、精一杯この世を生き抜きたいものだ。
たまたまこの世に仮の客として生まれて来ましたが、悔いを残さずに故郷の“あの世”へと帰ります……

自殺ほど、もったいないものはありません。

もっとこの世で生きたくとも、自ら定めた命の修業年限に殉じて、あの世へ帰った命もあります。

不自由な肢体で生きることを決め、この世の偏見や差別と戦っている強靭な命もあります。

過酷な運命を受け入れ、それでも強く生き抜こうと決意した清らかな命だってあります。

あなたの命は、あなたひとりの物ではありません。

 

どんな辛い経験も魂の財産になる—ようやく与えられた生命を“生き切る”べし

心からこの世で魂を鍛えることを自ら願い、最適の“肉の親”を選んでようやく天から授けてもらった、“あまりにも重い”多くの人の願いが込められた生命です。

生き急ぐ必要はありません。
必ず、“あの時死なないで良かった”と思える時代が、人生には訪れるものなのです。

生きてこそ、ようやく到達できる“悟り”の前に、自分の可能性を自分で葬るような愚行を犯しては、なりません。

この世に“客”として降り立ったと思えば、どんなに辛い経験も“財産”になります。

それは、天から与えられた生命を“生き切った”ことで、漸く気づくもの。

素晴らしい経験をあの世に胸を張って持ち帰るまで、何度でも気を取り直して、もう少し“この世”で、頑張ってゆきましょう。

 

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