「たまふり」とはなにか
「たまふり」とは、魂振りであり、外側から魂を振るわせ、活性化する行為を指します。
感じでは鎮魂と書き表され、平安時代の文献にも登場します。
現代で鎮魂というと、慰霊のイメージがありますが、元々の意味は生きている人のためにある儀式で、肉体から拡散、遊離した魂を体の中に収め、活性化することを表していました。
古代の人々にとって、魂とは、肉体の中に常に固定されているものではなく、自在に形が変化し、また、状況によって増えたり減ったりするものであり、また、生きている人の体からも、出たり入ったりすると考えられていました。
たまふりは魂振りでもあり、魂降りでもあるので、自身の肉体に収まった魂の活力をアップさせると同時に、浮遊している霊力、タマを引き寄せ、そのエネルギーを高める事も表します。
お祭りで神様の御霊を納めたお神輿をわっしょいわっしょい揺らすのは、まさにたまふりです。
振ることで御霊を活性化し、そのお祭に参加した人たちの魂も共に活性化します。
そして、お神輿が練り歩いた土地の気も同時に活性化するという意味合いがあります。
「たまふり」の「たま」
「たまふり」の「たま」とは何かというと、目には見えないが、この世に普遍的に漂い存在する霊力や気、スピリチュアルなエネルギー体を指します。
外国の例でいえば、マナ、スピリット、プネウマ、エーテルもそうです。
スターウォーズでいう、フォースのようなものです。
また、同時に生命力も表します。
魂はタマシヒであり、生命力の宿ったタマの事を指します。
「ひ」は火にも通じ、熱を持ったエネルギー、霊体のことを表します。
魂がこの世に生まれてくるのは、産霊(ムスヒ)であり、古代人にとって、男女の交合は生産、豊饒、この世にたましいを持った生命を生み出す神聖なものとされ、それ自体が信仰対象となりました。
妊娠した姿の女性の土偶もたくさん作られました。
たまふりは、今日では宮中や、物部氏に関係する神社で特定の時期に儀礼的に行われますが、古代、人が笑ったり、大いに喜ぶ事でも、魂が揺り動かされ、活性化すると考えられていました。
日本神話で傷を癒し死者をも甦らせた「たまふり」
神話の中に出てくるたまふりには、物部氏の遠い祖先にあたる宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が、神武天皇が奈良の橿原に都を建てたあと、神武天皇に対して、天津神から受け継がれた御神宝(十種神宝)を振ることでたまふりをし、長久を祈ったとされる逸話があります。
また、別の神話の中では、天津神が、戦で大きな痛手を負った神武天皇に対して、十種の神宝をゆらゆら振れと指導する場面が出てきます。それにより、戦による傷は癒え、死者も生き返る奇跡が起きたと描かれています。
十種神宝は死者をよみがえらせる、すさまじい霊力を秘めているとされます。
十種神宝とはどんなものかというと沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死返玉(まかるかえしのたま)、道返玉(ちがえしのたま)、蛇比礼(へびのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさもののひれ)の十種類の宝物です。
現存していませんが、写し絵が残されています。
神話には、饒速日命が天下る際、天津神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、皇産霊神(かみむすびのかみ)から授けられたと描かれています。
平安の鎮魂祭でも、魂の依代として天皇自身の衣服、あるいは代々伝わる呪物、宝物を揺り動かし、持ち主の魂に呪力を感染させることで、霊魂を活性化させていたものと考えられています。
現代でも毎年鎮魂祭が行われていて、宮中で鎮魂祭が行われる日に、物部氏に関係した神社でも鎮魂際が行われます。
奈良の石上神宮では、榊に掲げられた神宝の写し絵の入った袋を振ることでたまふりが行われます。
物部神社では宮中と同じく巫女が桶を鉾で突くたまふりが行われます。