正しさの罠 〜時代や環境で移り変わるエネルギー性質〜

私たちは一見、同じ世界に住んでいるように見えますが、実はそうでもなく、みなそれぞれの世界観を持って、違う世界を営んでいるのです。

 

2016年が始まって早くもひと月ですが、年明け早々から騒がしいですね。

こういう時はみんな、誰が悪いのか? という犯人捜しをしたくなるし犯人だ、とされる人をひどく叩いてしまったりします。
見ているこちらが傷ついて、いたたまれなくなるほどに。

 

でもね、本当はみんな正しいのです

宇宙には「間違っているもの」は存在しないから。

どんな人もその人の世界観の中で「正しい」ことしかしません。
極端なことを言うと殺人を犯す人も「○○だったから」と言いますね。
だから自分がしたことは正しい、と。

「正しいかどうか」ということはいつも平行線です。
相手と交わることができません。
それは私たちが作ってきた二極の世界の幻想の最たるもの、かもしれません。

私たちはこの地球でワンネスを体験するためにやってきたのだ、とよく言われますが、例えば正しいか正しくないかという二極に捉われていると、相手と交わることができず、もちろん繋がることもできず、さみしいですよね。

私たちは二極を生きているのではなく、本当はあらゆる可能性が存在する多層構造を生きています。だから「それは間違っている」ということはたくさんあるその可能性を潰してしまうことになるのです。
そうして私たちはまた限定された世界を作りだすのです。

 

「正しさ」というのは時代によっても変わります

例えば、日本の江戸時代には子供が働くのは普通でしたが、今それをしたら児童虐待と言われますよね。
正しさというのは決して普遍的なものではないのです。

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そして時に「正しさ」というのは相手の価値観や感情、存在を認めない、
と言う意味で、暴力になり得ます。
私たちが見てきたみたいに。
本当は宇宙にはあらゆる可能性があるのに。

もう一つ考えなくてはいけないのは、「仮に自分が正しいのだ」として、それを理由に相手を傷つけても良いのか? ということですよね。

ここにはパワーの問題が絡んでいますが、そうやって「相手を傷つけることで自分の力を感じることができる」という悲しい側面を人は持っています。
なぜそうなってしまうか、と言えば、自尊心やセルフイメージが低いからです。