他の誰でもない、何者でもない「私」へ

何かになる必要もなく、どこかへいく必要もなく、何かを成す必要もなく ただ今ここで自分自身である、それでよい、と思うことから始めてみましょう。

幼い頃の憧れは、看護婦さんかお医者さん、スチュワーデスとかお花屋さんもいいなと思っていました。
いかにも幼子らしい憧れ。
男の子だと野球選手(今はサッカー選手かもね)とかパイロットなどもあるのかな。
あとは学校の先生とかね。

結局、看護婦さんにもお医者さんにもならなかったけれど、
今は、他の方の癒しや目覚めをお手伝いするお仕事をさせて頂いているので
この子供の頃の憧れはかなりの程度実現されている、と言えると思います。
エネルギーは「自分のわかるもの」に変換されるから。
(例えばお茶碗を知らなかったら、お茶碗には変換されない、という意味です)

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ちょっと大きくなってからはピアニスト
これは夢ではなく目標でした。

この目標は様々な理由で断念せざるを得なかったのだけど
その後、私は自分が何になりたいのかわからないまま彷徨って
たぶん十年くらいが経過した、と思います。

この彷徨っている期間というのは、けっこう辛かった記憶がある。
面白かったのではなく、<辛かった>ね。

なぜ辛かったのかと言ったら、
「何かにならなくてはいけない」と思っていたから。

私に限らず、「何かになりたい」とか「何者かにならなくてはいけない」と思いながら
それを探しながら生きている方も多いのではないでしょうか。

もちろん、<職業としての何か>もあるし
例えば「いいお母さん」になりたいとか「いい奥さんになりたい」とか「(相手にとって)いい友達でいたい」とかもあるだろうし
「優しくなりたい」「賢くなりたい」「強くなりたい」「穏やかな人になりたい」
「人目を気にしない人になりたい」
などもあるでしょう。

「何かになりたい」ということと
「何者かにならなくてはいけない」ということは似て非なるものだけど

その「何かになりたい」はどこからきているのでしょうか?

もちろん、私たちはこの世界で「何かをしたい」「何かを分かち合いたい」などの思いがあって生まれてくるので、そういった魂の神性な意図や憧れからくる「何かになりたい」
というのは確かにある、と思います。

でもそうでないのもあるよね。

それは別の誰かの憧れを生きようとしている時とか
あなたの痛みからくる衝動とか(それもギフトだけど)

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そして、別に何者にもならなくてよい、としたらどうでしょう。

そう、別に何者にもならなくて良いのです。
宇宙にはしなくてはならないことは何もないから。

先程、私が辛かったと書いたのは
私の魂はこの真実を知っていたからだわ、と今となっては思います。
だから<何者かにならなくてはいけない>というエゴの思い込みに
強烈な違和感を感じて、葛藤してしまう。

私たちは別に何者かでなくても、ここに生きていることを祝福されているし、
生きている価値があるし、自分も含めて誰かに自分の価値を証明する必要もない。
これが宇宙の優しい真実だ、と思うのです。

これは究極の自由でもあるけれど、
この真実を生きていくには、ある意味で強さが必要ですね。
それでもいいのだわ、と思える強さと優しさ、そして愛が。

別に何者かでなくてもよく、しなくてはならないことは何もないとしたら。
その時、あなたは何をしますか?
(もちろん、何もしないもあり)

その宇宙の真実を受け入れてなお、こうしたい! と思えることが
あなたの魂の神聖な意図であり、憧れなのかもしれません。

何かになる必要もなく、どこかへいく必要もなく、何かを成す必要もなく
ただ今ここで自分自身である、それでよい、と思うことから始めてみましょう。

スピリチュアルセラピスト美月結でした。

 

美月結公式サイト Goldendrops~ひかりのしずく
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